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東京地方裁判所 平成7年(合わ)143号 判決 2000年7月17日

主文

被告人Q及び被告人Sをそれぞれ死刑に処する。

被告人Rを無期懲役に処する。

理由

【被告人らの身上、経歴等】

一  被告人Q

被告人Qは、本籍地において、高校教師であった父qと母q'との間に長男として出生し、昭和六一年四月○○大学理科一類に入学し、理学部物理学科に在籍した後、平成二年四月には○○大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程に進み、平成四年四月からは同研究科物理学専攻博士課程に進学した。

ところで、乙川次郎こと乙川次郎(以下単に「乙川」という。)は、昭和五九年二月ころ、ヨーガの修行等により解脱、悟りに至ることを目的とするオウム神仙の会を発足させ、昭和六二年七月ころ、オウム真理教(以下「オウム教団」という。)と名称を変更し、平成元年八月、東京都知事から宗教法人の認証を受けて、宗教法人オウム真理教の設立登記をした。

被告人Qは、乙川の著書を読んでヨーガに興味を持ち、昭和六一年九月(大学一年次)ころ、オウム教団に入信し、大学に通学する傍ら、月一、二回程度オウム教団世田谷道場に通い、ヨーガの修行を行っていた。その後、乙川から説法会において出家を勧められたこ之もあり、平成四年三、四月ころ、オウム教団に出家した。

被告人Qは、静岡県にあるオウム教団富士山総本部(以下「富士山総本部」という。)や山梨県西八代郡上九一色村(以下「上九」という。)等にあるオウム教団施設(以下「教団施設」という。)内において、修行を行ったり、機械製造などのいわゆるワークに従事し、平成六年五月には、乙川からヴァジラパーニというホーリーネームを与えられ、その後菩師長というステージになった。オウム教団では、平成六年六月下旬ころ、乙川を頂点として、国の行政組織を模倣したピラミッド型の省庁制(法皇内庁、法皇官房のほか、厚生省、自治省等二二の省庁を設けて、各省庁に大臣、次官と呼ばれる職制を置くもの。)が採用され、被告人は、科学技術省に所属して、同省大臣Dの下で次官として活動するようになった。

二  被告人S

被告人Sは、東京都において、会社員であった父sと母s'との間に長男として出生し、昭和五八年四月○○大学理工学部応用物理学科に入学し、昭和六二年四月に大学院に進学後、平成元年三月同大学院を卒業した。

被告人Sは、○○大学大学院在学中の昭和六三年、オウム教団が出版していた「超能力秘密の開発法」、「生死を超える」等の本を購読した後、「クンダリニーの覚醒」という体験をしたことから、次第にその教義内容に惹かれ、昭和六三年三月オウム教団に入信した。世田谷道場に一年間くらい通った後、就職先が日本電気株式会社に内定していたにもかわわらず、平成元年三月大学院卒業後直ちに出家した。

被告人Sは、出家後、富士山総本部において、修行をした後、乙川とともに、平成二年に施行された衆議院議員選挙に立候補し落選した。その後、富士山総本部、熊本県波野村、上九において、修行やワークをして過ごしていたが、平成五年五月以降は、山梨県富沢村や上九において、脳波と修行ステージの関係等、主として物理学の知識を生かしたワークを行っていた。被告人Sは、サンジャヤというホーリーネームを与えられ、省庁制導入に伴い科学技術省に次官として所属し、菩師長となった。

三  被告人R

被告人Rは、本籍地において、会社員であった父rと母r'との間に一人息子として出生し、昭和五七年三月○○大学商学部産業経営学科を卒業後、○○証券株式会社広島支店に営業担当として勤務した。ところが、高血圧や不整脈のため、昭和五八年七月ころ退社して一年以上静養し、昭和五九年夏ころからアルバイトをした後、自動車のレンタル会社に勤めたが、昭和六一年二月ころ、仕事が負担となり退社した。

被告人Rは、既に行っていたヨーガで不整脈を完治させようと考え、昭和六一年三月に上京し、当時東京都渋谷区桜丘町にあったオウム神仙の会を訪れ、直接乙川の指導を受けた。同年三月下旬から四月上旬ころ、オウム教団に入信した被告人Rは、同年九月上旬ころ出家し、インドにおいて勉学後、オウム教団の支部長、大型バスの運転手、乙川の専属運転手等として活動していた。ところが、平成五年二月ころ、乙川やオウム教団に対する不信感から、無断でいわゆる下向をし、実家に帰宅してしまった。しかし、科学技術省に所属するTらに連れ戻された上、乙川に説得されて、オウム教団に復帰した。その後、ロシアで軍事訓練を受けたり、薬品の運搬作業に従事したりした後、省庁制導入に伴い、自治省次官として、乙川の運転手兼警備役を担当することになった。被告人Rは、オウム教団に入信後、ガンポパというホーリーネームを与えられ、次第にステージが上がり、菩長補になった。

【地下鉄サリン事件】

(オウム教団によるサリンの生成)

一  オウム教団の教義

オウム教団は、主神をシヴァ神として崇拝し、乙川らの指導の下に、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義を広め、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標としていた。また、真理を実践する唯一の団体として、入信した上出家して修行を積めば解脱することができるなどと説き、全国各地に支部や教団施設を設立するなどして、積極的に信徒獲得活動を行った。その結果、解脱を希求する多数の者がオウム教団に入信し、平成七年三月時点で、出家した者(以下「出家信者」という。)が推定一四〇〇人前後に達した。乙川は、超能力の持ち主である最終解脱者と自称し、自らを信仰の対象自体であると位置付け、信者に「尊師」あるいは「グル」と呼ばせ、原始仏教やチベット密教の教えを取り入れた独自の教義を説き、自已に絶対的に帰依した上、その命令を忠実に実践することが功徳であり救済であると提唱していた。

二  オウム教団の武装化

乙川は、信者に対して、近い将来、世界最終戦争、いわゆる「ハルマゲドン」が勃発するため、この戦争に生き残る必要があるのみならず、オウム教団や乙川自身が国家権力から毒ガス攻撃等の宗教弾圧を受けており、これに対抗する必要があるなどと説き、オウム教団の武装化を企図した。また、悪行を積んでいる現代人を乙川の力によって高い世界に転生させるためには、これを殺害することさえ「ポア」と称して正当化し、同時に、手を下した者も心の成熟を得られ、最も早い解脱への道になるなどといういわゆる「タントラ・ヴァジラヤーナ」と称する教義を提唱していた。

乙川は、オウム教団幹部とともに、平成二年に施行された衆議院議員選挙に落選したことから、今後はタントラ・ヴァジラヤーナ、すなわち武力を使っての救済に移行するなどと称して、猛毒であるボツリヌストキシンの撒布、炭疸菌の噴霧などを次々と目論んだが失敗に終わった。それにもかかわらず、乙川は、オウム教団幹部を通じて軍事情報を収集するなどして、平成五年春ころから、被告人Q及び被告人Sを含むオウム教団幹部に対し、ロシア製を模倣した自動小銃、サリン等の化学兵器の開発、製造を指示し、オウム教団の武装化を本格的に始動させた。

三  サリンの生成

乙川は、平成五年六月ころ、後に科学技術省大臣となったDを介し、同じく第二厚生省大臣となったJ(有機物理化学専攻)に対し、化学兵器の大量生成に関する研究、開発を行うよう指示した。Jは、原材料購入の安易さや製造工程の短さから、Dの了解を得てその化学兵器としてサリンを選定した上、研究、実験の末、同年一一月ころ、サリンの標準サンプル約二〇グラムの合成に成功し、平成六年二月には、サリン約二〇キログラムを生成するに至った。平成七年一月一日、上九にある教団施設付近からサリンの残留物質が検出された旨の新聞報道がなされたことから、乙川は、サリン生成の事実を隠蔽するため、Dを介して、Jや法皇内庁大臣Hらにサリンや原料等を処分させたが、その際、Hは、サリン生成の可能性を将来に残すため、その原料であるメチルボスホン酸ジフロライドの一部を処分せず、クーラーボックスに入れて、第二上九と称する地区にある教団敷地内に隠匿しておいた。

四  サリンの物性及び毒性

サリンは、その化学名を「イソプロピルメチルホスホン酸フルオリダート」又は「メチルホスホノフルオリド酸イソプロピル」といい、ドイツにおいて、一九三八年に、有機リン化合物を化学兵器へ転用する研究の結果合成された神経ガスである。サリンは、常温常圧では無色無臭の液体であるが、揮発性が高くガス化しやすい性質を有し、経口及び付着による皮膚からの吸収のみでなく、呼吸器及び眼粘膜から容易に吸収される。サリンの毒性発現の機構は、神経伝達物質であるアセチルコリンの分解作用を有するコリンエステラーゼと結合し、その酵素活性を減殺することにより、中枢神経系から随意筋へ向けての情報伝達を阻害するというもので、大気中に一立方メートル当たり一〇〇ミリグラムの濃度で存在した場合、一分間で半数の人間が死亡する(経気道半数致死量)。また、サリンによる中毒症状は、重症になると、縮瞳、肺水腫による呼吸困難、意識混濁、昏睡、全身痙攣、呼吸筋麻痺などがあり、終極的には人をして死に至らしめるものである。

(犯行に至る経緯)

一  乙川及び実行役らの順次共謀の状況

1  乙川は、目黒公証役場の事務長が逮捕監禁されて死亡した事件(假谷某逮捕監禁致死事件)に関し、警察による強制捜査が教団施設内に及ぶことを危惧していたが、平成七年三月一七日(以下、「犯行に至る経緯」における月日は、平成七年を指す。)から翌一八日にかけての深夜、東京都杉並区高円寺にあるオウム教団経営の飲食店「識華」において、D、諜報省大臣U、第一厚生省大臣K、法務省大臣Aらとともに食事会を催した際、問題の強制捜査の可能性に言及した。そして、乙川は、同月一八日未明、食事会の終了後、上九にある教団施設に向かう同人の専用車リムジン内で、D、Uらと強制捜査阻止の方策につき話し合った。その際、Dから地下鉄内にサリンを撒布することが提案されたのを受けて、乙川は、Dの総指揮により、その計画を実行するよう命じた。また、Dが、サリン撒布の実行役として、いずれも科学技術省に所属する被告人Q、被告人S、V及びTの四名を挙げると、乙川は治療省大臣Oも実行役に加えるよう指示した。さらに、乙川が、Kに対し、「ジーヴァカ、お前、サリン造れるか。」と問うと、Kは、「条件が整えば、造ることはできると思います。」と答えた。

2  Dは、三月一八日明け方ころ、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第六サティアンと称する教団施設(以下「第六サティアン」という。)三階にある自分の部屋に、被告人S、T、O及びVを呼び出し、乙川の指示であることをほのめかした上、教団施設に対する強制捜査を阻止するため東京都内の地下鉄車内にサリンを撒布することを命じた。また、Dは、「衆生のカルマを背負うのは我々の修行だ。」などと告げ、今回の犯行が、タントラ・ヴァジラヤーナの教義に基づくものであることを示唆した。Dは、被告人Sらに対し、拒絶することを許さないような気勢を示しながら、実行役になることの承諾を求めた。乙川に対し帰依をしていた被告人Sも、強制捜査が近々入るとの風評を耳にしていたことから、その目的を理解するとともに、タントラ・ヴァジラヤーナの救済であると信じ承諾した。そして、他の三名も、全員「はい。」とか「やります。」などと答えて応諾した。さらに、Dは、この日から最も近い平日である三月二〇日朝の通勤時間帯に、警視庁に近接した霞ケ関駅を通る地下鉄車内において、サリンを撒布するなどの計画の概要を明らかにした。被告人S及びVは、Dから、地図やサリンを入れる容器の準備を命ぜられ、その足で静岡県富士市に赴いて、地下鉄路線図やポリプロピレン製広口瓶などを購入した。

3  被告人S、V、D、U及びTは、三月一八日夕方ころ、Dの部屋に集合し、その席で、地下鉄路線図等を参考にしながら、犯行を午前八時に一斉に行うこと、路線、車両、乗降駅などを決めた。その際、サリンの撒布方法についても話し合われたが、Dは、被告人S及びVに対して撒き方を実験するよう命じた。また、TかUが、Dに対し、具体的な名前を挙げながら、実行役を送迎する自動車の運転手が必要である旨意見を具申し、Dもこれに応じ、乙川の指示を仰ぐ旨答えた。

4  ところで、Dは、三月一八日夕方以降になって、自室を訪れた被告人Qに対し、「地下鉄でサリンを撒く。」「アーナンダ師(U)、ヴァジラチッタ・イシディンナ師長(T)、サンジャヤ師長(被告人S)、ヴァジラ・ヴァッリィヤ師長(V)と相談してやりなさい。」などと実行役となることを指示した。このような重大な指示は、乙川によるものであると考えた被告人Qは、尊師の指示は絶対的なものであり、救済につながると信じ、サリン撒布の目的等を問い返すことなく、その場で承諾した。その後、被告人S及びVは、被告人QやTも交えて、予め穴を開けた容器に水を入れ、その穴から水が漏れるかの実験を行ったが、その際、この方法では、自分たちが、サリンにより現場で死亡することになり、オウム教団の犯行と露見してしまうとの話が出た。

5  翌一九日朝、Dの指示により、Oを除いた被告人ら四名の実行役(以下「実行役四名」という。)は、上九にあるオウム教団施設を出発し、被告人R運転の車に被告人SとVが、自治省所属のW運転の車に被告人Q、T及び車輛省所属のXが、それぞれ乗車して東京都杉並区今川<番地略>Y方(以下「杉並アジト」という。)に赴いた。杉並アジトにおいて、実行役四名は、路線の担当や実行役と運転手役の組合せ等を話し合い、被告人Sと被告人R、TとX、VとWを組み合わせることなどを一応決めた。その際、被告人Rは、実行役四名の話の内容等から、地下鉄内で事を起こそうとしていることや被告人Sの運転手役として自分の名が挙がっていることを認識した。同日昼過ぎから、実行役四名と被告人Rらは、新宿に買物に出掛け、変装用の衣類、小道具等を購入した。

6  その後、被告人Sと被告人Rは、VやWとともに、地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅や御茶ノ水駅の下見に行った。その際、被告人Rは、実行役四名が地下鉄内で起こそうしている事の具体的内容を把握できなかったため、被告人Sに向かって、何をやるのか密かに尋ねたところ、警察の捜査の矛先をそらすため、サリンを撒布する計画を聞かされ、それでは却って、警察の本格的捜査を受け、オウム教団の崩壊を招くのではないかと考え、「そんなことをすれば招き猫になるじゃないか。」などと発言した。一方で、被告人Rは、躊躇はあったものの、オウム教団の古参信者として、乙川の側に仕え、信頼を得ていると感じていたことや、後記のとおり、落田事件や冨田事件にも関与し、今更オウム教団を逃げ出すこともできないと考え、運転手として選ばれた以上、乙川の指示を実践し、役割を果たすことを決意した。

7  一方、D及びUは、三月一九日午後、第六サティアン一階にある乙川の部屋に赴き、Dが運転手役の選定について指示を仰ぐと、乙川は、諜報省所属のZ、自治省大臣G、自治省所属の被告人R、a及びbの五名を挙げるとともに、実行役と運転手役との組合せとして、OとG、Tと被告人R、被告人QとZ、被告人Sとa、Vとbとすることを決めた。その後、D及びUは、実行役及び運転手役の集合場所を、オウム教団がアジトとして使用していた東京都渋谷区宇田川町<番地略>(以下「渋谷アジト」という。)に決め、Dは、Uに対し、犯行の際に使用する東京ナンバーの自動車五台を調達させた。

8  三月一九日午後七時ころ、実行役四名と被告人Rらが杉並アジトに戻ると、Uも現れ、実行役四名と被告人Rに対し、渋谷アジトに移動するよう指示した。その際、WとXは、帰ることを許された。

9  三月一九日午後九時ころまでに、Oを含めた五名の実行役(以下「実行役五名」という。)と乙川が指名した運転手役五名が渋谷アジトに集合したところで、Uは、乙川の決定した前記の組合せを伝えた。また、Uが中心となって、午前八時に、地下鉄霞ケ関駅を標的として、一斉に各自の担当路線の地下鉄車内でサリンを撒くことを最終的に確認し合った。

二  犯行に使用したサリンの生成

1  Dは、実行役らに指示したほか、三月一八日ころ、Hに対し、地下鉄で使用する旨説明した上、前記のとおり、Hが第二上九地区内に隠匿したメチルホスホン酸ジフロライドを使ってサリンを生成するよう命じた。その後、Kは、Hからメチルホスホン酸ジフロライド入りの容器を渡され、乙川からは、「ジーヴァカ、サリン造れ。」と命ぜられ、重ねて同月一九日昼前ころ、「今日中に造れ。」などと指示された。

2  K及びHは、Jの指導に従って、必要な器具や原料となる薬品類等を集め、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一〇サティアンと称するオウム教団施設の付属建物(通称ジーヴァカ棟)にある実験室において、三月一九日夕方ころから、サリンの生成を開始し、同日夜中ころまでには、不純物を含有するサリンの液体を生成した。そして、Kが、乙川及びDに対し、不純物は含有するものの、サリンが完成したことを報告したところ、乙川は、分留せずそのままでよい旨答えた。

3  K及びHは、Dの指示により、三月二〇日午前零時過ぎころまでの間に、サリンの液体をろ過した上、これを二〇センチメートル四方くらいのナイロン・ポリエチレン袋に注入して注ぎ口を圧着機で封をし(以下「サリン入り袋」という。)、さらに、ナイロン・ポリエチレンの外袋(以下「外袋」という。)に入れて封をしたものを一一袋作り、Kがこれを箱に詰め、乙川の部屋に持参した。

三  犯行当日の準備状況

1  三月一九日夜、実行役五名及び運転手役五名は、渋谷アジトから各自の担当路線の地下鉄駅に出掛け、それぞれペア毎に、駅出入口の確認、待ち合わせ場所の決定、地下鉄への乗車等の一連の下見行為を終了し、渋谷アジトに戻った。この下見の際、被告人Rは、Tから、サリンを吸い込んで正常に歩行できない場合に備えて、地下鉄の出口から近い場所に駐車して欲しい旨言われた。また、被告人Rは、渋谷アジトに戻った後、Uの指示で、Zらとともに、Uが調達した車両を受け取るため、新宿御苑近くの信者の経営する会社へ赴いた。

2  Dは、三月二〇日午前一時三〇分ころ、渋谷アジトに戻った実行役五名に対し、犯行に使用するサリンを引き渡すとともに撒布方法を伝達するため、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第七サティアンと称する教団施設(以下「第七サティアン」という。)に至急来るよう命じた。また、Dは、同日午前二時過ぎころ、Uにビニール傘七、八本を購入させた上、科学技術省所属の信者に傘の金具部分の先端を尖らさせた。一方、前記のように、Kがサリン在中の一一袋を詰めた箱を乙川の部屋に持参したところ、乙川は、箱の底に手を触れて瞑想し、サリンに自己のエネルギーを込めるという意味合いを有する「修法」と称する宗教的儀式を行った。

3  Dは、三月二〇日午前三時ころ、第七サティアンに到着した実行役五名に対し、サリン撒布の方法として、新聞紙で外側を包んだサリン入り袋を、尖らせた傘の先端で突き破って、サリンを漏出、気化させるという方法を採ることを伝え、その場で、水の入ったナイロン・ポリエチレン袋を傘の先端で突き刺すという犯行の予行演習を行わせた。また、犯行後は傘の先端を水洗いして、付着したサリンを洗い流すよう指示した。この間、被告人Qは、Dが、オウム教団の大阪支部に強制捜査が入ったことを引いて、それが宗教弾圧であると言うのを聞き、地下鉄にサリン撒布の目的は、宗教弾圧に対する対抗であると考えた。その後、被告人Qは、サリン在中の一一袋を渡され、これらを持ち帰ることになった。実行役五名は、サリン中毒の予防薬としても使えるメスチノン(正式名臭化ピリドスチグミン)錠を一錠ずつ与えられ、実行の二時間前に服用するよう言われた。

4  実行役五名は、三月二〇日午前六時ころを渋谷アジト出発の目処として、各自、サラリーマン風等に変装をした上、前記のメスチノン錠を服用し、Oからは、サリンに対する拮抗作用を有する硫酸アトロピン入りの注射器を受け取った。被告人Qは、同日午前六時三〇分ころ、サリン在中の鞄や先の尖った傘を携帯して、Z運転の車で、被告人Sは、同日午前六時ころ、サリンを入れたショルダーバッグや傘などを携帯して、a運転の車で、それぞれ出発した。被告人Rは、同日午前六時前後ころ、紙袋と傘を携帯したTを同乗させ、地下鉄日比谷線上野駅に向かった。同時刻ころ、OはGの運転する車で、Vはbの運転する車で、それぞれ、各自が担当する地下鉄路線の乗車駅に向かった。

5  被告人Qは、途中、サリン入り袋を包むための新聞紙を入手し、自動車内で、外袋を外してサリン入り袋二個を新聞紙で包み、それを鞄の中に入れ最終的な準備を完了した。三月二〇日午前七時ころ、日比谷線中目黒駅に到着してZと別れた被告人Qは、同日午前七時五九分三〇秒発の中目黒発東武動物公園行きの電車に乗車し、座席に腰掛け、車両が地下に入る直前に鞄を床に下ろし、地下に入るや否や新聞紙で包んだサリン入り袋を取り出し、自分の足と鞄の間に置いた。

6  被告人Sは、途中、コンビニエンスストアでペットボトル入りの水を入手し、JR四ツ谷駅でaと別れ、中央線等に乗って午前七時過ぎころ池袋駅に到着した。そして、新聞紙を購入した後、同駅構内にあるトイレで、手袋をはめた上、外袋を外してサリン入り袋二個を新聞紙で包んだ。被告人Sは、丸ノ内線池袋駅から、三月二〇日午前七時四七分四五秒発荻窪行きの電車に乗車し、ショルダーバッグからサリン入り袋を取り出そうとしたが、付近の乗客が振り向きそうになったため、これを止め、途中駅で後ろの車両に乗り換えた後、バッグ内で新聞紙が自然と外れていたサリン入り袋を取り出し、それを床上に落とし、足で蹴って座席の下方へ移動させた。

7  被告人Rは、Tを乗せて地下鉄日比谷線上野駅に向かったが、途中でコンビニエンスストアに立ち寄り、同人から指示されて、新聞紙、ゴミ袋、ペットボトル入りの水などを購入した。被告人Rは、車中で、Tから、袋の中身がサリンであること、他の実行役より量が多いこと、傘で袋を突くことなどの説明を受けた。被告人Rは、三月二〇日午前七時ころ、Tの指示に従い、日比谷線上野駅の出入口に車をつけ、別れ際に、Tから、待ち合わせ場所に自分が来なかったら、帰るよう言い残され、「あと、じゃがんばって下さいね。」と励ました。そこで、直ぐさま日比谷線秋葉原駅に向かい、同日午前八時少し前、下見の際に決めておいた駐車場所に停車し、Tを待ち受けた。

(罪となるべき事実・第一)

被告人Q、被告人S及び被告人Rは、オウム真理教代表者乙川次郎こと乙川次郎、D、U、K、J、H、0、T、Vら多数の者と順次共謀の上、東京都千代田区霞が関二丁目一番二号所在の帝都高速度交通営団地下鉄霞ケ関駅に停車する同営団地下鉄日比谷線(以下「日比谷線」という。)、同千代田線(以下「千代田線」という。)及び同丸ノ内線(以下「丸ノ内線」という。)の各電車内などにサリンを発散させて不特定多数の乗客らを殺害しようと企て、

一  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田佐久間町一丁目二一番所在の日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において、Tがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋三袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、秋葉原駅から東京都中央区築地三丁目一五番一号所在の日比谷線築地駅に至る間の電車内や同駅構内等においてサリンを漏出、気化させて発散させ、岩田某(当時三三歳)ほか一〇名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の一記載のとおり、同日午前八時五分ころから平成八年六月一一日午前一〇時四〇分ころまでの間、同区日本橋小伝馬町一一番一号所在の日比谷線小伝馬町駅構内ほか七か所において、岩田某ほか六名をサリン中毒により、また、岡田某(当時五一歳)をサリン中毒に起因する敗血症によりそれぞれ死亡させて殺害するとともに、別表一の二記載のとおり、児玉某(当時三五歳)ほか二名に対し、それぞれ加療期間不詳から一〇三日間までを要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

二  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都渋谷区恵比寿南一丁目五番五号所在の日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において、被告人Qがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、恵比寿駅から霞ケ関駅に至る間の電車内や東京都港区虎ノ門五丁目一二番一一号所在の日比谷線神谷町駅構内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、渡邉某(当時九二歳)ほか二名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表二の一記載のとおり、同日午前八時一〇分ころ、神谷町駅構内において、渡邉某をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、別表二の二記載のとおり、尾山某(当時六一歳)ほか一名に対し、それぞれ加療期間五八日間及び三六日間を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

三  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都文京区湯島一丁目五番地八号所在の丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において、被告人Sがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、御茶ノ水駅から東京都中野区中央二丁目一番地二号所在の丸ノ内線中野坂上駅に至る間の電車内や同駅構内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、中越某(当時五四歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表三の一記載のとおり、翌二一日午前六時三五分ころ、東京都新宿区河田町<番地略>所在の東京女子医科大学病院において、中越某をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、別表三の二記載のとおり、浅川某(当時三一歳)ほか二名に対し、それぞれ加療期間不詳から六一日間までを要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

四  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田駿河台三丁目先所在の千代田線新御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内において、Oがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、新御茶ノ水駅から同区永田町一丁目七番一号所在の千代田線国会議事堂前駅に至る間の電車内や霞ケ関駅構内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、高橋某(当時五〇歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表四の一記載のとおり、同日午前九時二三分ころ及び翌二一日午前四時四六分ころ、同区内幸町<番地略>所在の浩邦会日比谷病院ほか一か所において、高橋某ほか一名をサリン中毒によりそれぞれ死亡させて殺害するとともに、別表四の二記載のとおり、斉藤某(当時二五歳)ほか一名に対し、それぞれ加療期間七三日間を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

五  平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都新宿区四谷一丁目一番地所在の丸ノ内線四ツ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行き電車内において、Vがサリン入りのナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、四ツ谷駅から丸ノ内線池袋駅で折り返した後、霞ケ関駅に至る間の電車内においてサリンを漏出、気化させて発散させ、別表五記載のとおり、古川某(当時三七歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、それぞれ加療六〇日間から三七日間までを要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかったものである。

(犯行後の事情)

一  犯行後、被告人Qは日比谷線恵比寿駅で、被告人Sは丸ノ内線御茶ノ水駅で、それぞれ下車し、運転手役のZ及びaと待ち合わせをした上、車で渋谷アジトに戻った。その後、被告人Q及び被告人Sは、第六サティアンに赴き、乙川の自室において、D及びVとともに、犯行の報告を行ったが、乙川から、「偉大なるグル、シヴァ大神、全ての真理勝者方にボアされてよかった。」旨のマントラを一万回唱えるよう指示された。

二  被告人Rは、犯行を終えて日比谷線秋葉原駅の出口から出てきたTを乗せ、渋谷アジトに戻った。車中、被告人RがTに対し、「どうだった。」と首尾を問うと、同人は、「うまく行きましたよ。袋を三、四回突いたんだけど。突き破った手ごたえがありました。」と答えた。その後、被告人Rは、T、G及びUとともに、犯行に使用した傘、実行役が犯行時に着用した衣類、犯行計画などを記したメモ類等を多摩川の河原で焼却して証拠を隠滅した。さらに、被告人Rは、第六サティアンに出向き、乙川の自室において、T及びGとともに報告を行ったが、乙川から、被告人Qらと同様に前記のマントラを唱えるよう言われた。

【自動小銃製造事件】

(犯行に至る経緯)

一  自動小銃製造計画の発案

1  乙川は、前記オウム教団武装化の一環として、自動小銃約一〇〇〇丁等を密かに量産させようと決意し、建設省大臣Cに対し、アブトマット・カラシニコバ一九七四年式ロシア製自動小銃(以下単に「AK七四」という。)の実物の見学等を手配させた上、C、D、被告人S、被告人Q及び科学技術省次官Nの五名を平成五年二月一一日ロシアへ渡航させた。Cら一行は、ロシア人研究家から、AK七四の実物を見せてもらったり、内部機構の詳しい説明を受けたりして、情報を入手した。

2  さらに、Dら一行は、AK七四一丁及びこれに適合する銃弾を入手し、NがAK七四一丁を分解切断した。そして、税関等で露見するおそれのある一部の部品については形状をスケッチするに止め、一部の部品及び銃弾十数個については、被告人S及び被告人Qらが、写真フィルムの感光防止用袋等に隠匿して、それぞれの手荷物の中に入れ、平成五年二月二八日帰国した際、日本国内に持ち込んだ。

二  部品の設計と製作準備等

1  乙川は、Dらの帰国報告を受け、自動小銃の製造に着手させることとし、その責任者としてVを指名し、これに基づき、D及びNは、平成五年三月ころ、Vに対し、ロシアから持参したAK七四の部品、分解図、銃関係の文献、八ミリ録画ビデオテープ、AK七四の実包等を手渡した上、AK七四をモデルとした自動小銃を一〇〇〇丁製造するよう指示した。これを受けて、Vは、静岡県富士宮市人穴<番地略>所在の第一サティアンと称する教団施設内において、AK七四を構成する各部品に識別番号を付して設計図の作成に着手するなどした。

2  また、Vは、設計図の作成作業と並行して、D及びNとともに各部品の素材と製作方法を検討し、例えば、オリジナル銃において木製の部品についてはプラスチック製とすること、機関部内部の金属製部品はその硬度を計測した上、適当な特殊合金を用いることなどを次々に決定した。素材を検討していく過程で、部品の中には耐性強化のため窒化処理されたものがあることに気付き、窒化処理の研究も行うこととした。バネ部品については、平成五年三月一八日ころ、在家信者が経営する会社から、予備を含めて各バネ部品を一二〇〇個ずつ購入したが、同社での製作が困難であった撃鉄バネ等は、教団施設で自作することとした。

三  再調査と製造工場の建設

1  オウム教団では、平成五年四月ころ、山梨県南巨摩郡富沢町大字福士字西根熊<番地略>所在の清流精舎と称する教団施設(以下「清流精舎」という。)を建設し、工作機械等を移転するなどして、同年五月ころから清流精舎を自動小銃製造の工場として機能させることとした。また、C、被告人S及びNの三名は、同月四日、再度ロシアを訪問し、自動小銃部品の表面処理としての窒化処理や銃弾の製作方法等について、工場見学やロシア人研究者の説明を受けるなどした。同月二八日に帰国した被告人S及びNは、持ち帰った窒化炉の全体図を部品毎の図面に分解し、部下にその製造を命じた。

2  Vは、清流精舎の二階個室において、自動小銃部品の設計図の作成に取り掛かり、また、銃身用の材料として、直径二五ミリメートルの特殊合金でできた棒を購入し、その外形加工をNC旋盤担当の科学技術省所属のdに指示するとともに、プレス加工だけで製作できる部品について金型の設計をするなどした。こうして、Vは、平成五年七月ころまでに、AK七四を模した自動小銃部品の設計作業をほぼ完了させた。

四  乙川の催促と作業分担

1  D、V及びNは、平成五年八月上旬ころ、乙川に対し、設計図の完成を報告したが、乙川から直ちに製作方法を決定するよう命令され、協議の結果、特に重要な機構部で硬度が要求される金属部品は鍛造、それ以外の金属部品は精密鋳造で製作することとした。乙川は、これを了承したが、その際、できるだけ早急に自動小銃の大量製造を行うよう指示した。

2  これ以降、Vを中心とし、清流精舎で働く科学技術省所属の出家信者らが同人の指示を受けて部品の試作に取り掛かったが、進捗状況は全体的にはかばかしくなかった。そのため、乙川は、平成六年二月二八日、宿泊先の千葉県千葉市美浜区ひび野<番地略>所在のホテル「丙」に、V、被告人S、被告人Qらを呼び寄せ、被告人S及び被告人Qに対し、「サンジャヤ(被告人Sのホーリーネーム)とQは、ヴァジラ・ヴァッリィヤ(Vのホーリーネーム)の方に入れ。一〇〇〇丁造るのにあと一、二か月でできるか。」などという言い方で、Vの自動小銃製造作業に加わり、一、二か月以内に自動小銃一〇〇〇丁を完成するよう指示した。その際、乙川は、被告人Sに対し、鍛造による金属部品の製作をDの指導を受けながら進めることなどを、被告人Qに対しては、従前Nが従事していた窒化炉製造を引き継いで完成させること、鋼材の溶解に必要な誘導加熱炉を製造することなどをそれぞれ指示した。

3  乙川の指示に基づき、被告人Sは、平成六年三月初旬ころ、鍛造に関する文献やVが試作した鍛造用金型を基に、金属部品の製作方法について検討を始めた。被告人Qは、同月二〇日ころ、窒化炉を完成させた上、建築中の山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一一サティアンと称する教団施設(以下「第一一サティアン」という。)に搬入する一方、誘導加熱炉の製造にも着手し、さらに、銃腔内部のクロムメッキに必要なメッキ槽を設計、製造し、科学技術省所属のh及びmに組み立てさせて第一一サティアンに搬入し、同年六月ころには、これを完成させた。

五  各種部品等の製作

1  Vは、平成六年三月一二日に帰国したCがオリジナル銃の弾倉を持ち帰ったことから、同年四月ころ、科学技術省所属のjに対し、その弾倉を渡して設計図を作成するよう命じるとともに、銃床、握把の設計図や上部被筒、下部被筒の射出成型用金型等も交付して、これらプラスチック製部品の製作を指示した。jは、同年八月ころから、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第九サティアンと称するオウム教団施設に設置された大型射出成形機を用いて、プラスチック製部品の製作を本格化させた。

2  被告人Qは、平成六年六月初旬ころ、乙川により銃弾製作の責任者に指名され、VからAK七四の実包を受け取り、銃弾の製作工程をチャート化し、薬きょう、弾頭、雷管等の各部品の設計製作を部下に指示した。その後、平成七年一月に後記二の犯行により、自動小銃一丁が完成したことなどから、被告人Sが、弾丸製作を引き継ぐことになった。

3  被告人Sは、平成六年八月ころ、Vから、未完成の銃身製作を引き継いだが、V同様ライフル加工に難航していたところ、同年一一月末ころ、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一二サティアンと称するオウム教団施設に新たに設置された大型の放電加工機により、オリジナル銃と同様の深さ0.1ミリメートルで四条のライフル溝を彫ること、すなわちライフル加工に成功した。そして、ライフル加工を施した銃身に、内面加工、表面処理(被告人Qが製造した窒化炉を利用した窒化処理)、防錆加工を施して、平成六年一二月には、後記二の犯行による自動小銃一丁の銃身を完成させた。

六  金属部品の大量製作の本格化

1  被告人Sは、金属部品の製作方法について試作品を作るなどして検討した結果、鍛造についてはプレス後に生じるバリ(プレスの圧力によって部品からはみ出した部分)を取り除いて成型する手間が掛かるという問題が、また、鋳造については熔解した金属が急冷され、鋳型にうまく入らないなどの問題があることが判明した。

2  そこで、被告人S及びVは、平成六年四月下旬ころ、この問題点について乙川とDに報告したところ、乙川から「MC(マシニングセンター)でやったらどうだ。」などと指示されたため、金属部品については素材加工をNC旋盤で行い、素材加工したものをMC(コンピューター制御による曲面等の複雑な形状の金属加工が可能な旋盤)で切削する切削加工の方法で製作することとした。そのため、乙川は、MCで自動小銃部品を量産する目的で、当時建築中だった第一一サティアンを自動小銃の金属部品製作専用工場として使用することとした。Dは、合計二三台のMCが必要である旨の被告人Sの意見に従って、業者への発注作業を行い、被告人Qが責任者となって順次第一一サティアン内にMCを搬入し、合計二三台のMCが設置された。

3  被告人S及びVは、第一一サティアン内にMCが設置された平成六年五月ころから、科学技術省のメンバー合計一四名(<氏名略>)をMC担当者として選任し、順次同サティアンに移動させて部品の製作準備に当たらせ、同年六月下旬ころから、MCを使用しての金属部品の大量製作を本格化した。

(罪となるべき事実・第二)

一  被告人Q及び被告人Sは、オウム真理教代表者乙川次郎こと乙川次郎、V及びオウム教団所属の多数の者と順次共謀の上、通商産業大臣の許可を受けず、かつ、法定の除外事由がないのに、アブトマット・カラシニコバ一九七四年式ロシア製自動小銃(AK七四)を模倣した自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようと企て、平成六年六月下旬ころから平成七年三月二一日ころまでの間、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第九サティアンと称するオウム教団施設、同村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一一サティアンと称するオウム教団施設、同村富士ヶ嶺<番地略>所在の第一二サティアンと称するオウム教団施設及び同県南巨摩郡富沢町大字福士字西根熊<番地略>所在の清流精舎と称するオウム教団施設において、NC旋盤、マシニングセンター(MC)、深穴ボール盤等の工作機械で鋼材を切削するなどして銃身、遊底、上部遊底、銃身受、引金等の金属部品を、大型射出成形機で銃床、握把等のプラスチック部品をそれぞれ製作し、形彫り放電加工機で銃身にライフル加工を施すなどし、同自動小銃の部品多数を製作するなどして同自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようとしたが、同年三月二二日、前記各施設が警察官による捜索を受けるなどしたため、その目的を遂げず、

二  被告人Sは、平成六年一一月末ころ、オウム真理教代表者乙川次郎こと乙川次郎から、年内に完成銃を一丁製造するようにせかされたことから、乙川、V及びオウム教団所属の数名の者と順次共謀の上、通商産業大臣の許可を受けず、かつ、法定の除外事由がないのに、前記一の犯行の過程である平成六年一二月中旬ころから平成七年一月一日までの間、山梨県南巨摩郡富沢町大字福士字西根熊<番地略>所在の清流精舎と称するオウム教団施設において、前記一の犯行により製作した小銃の必要部品一式を取り揃えた上、これらを組み立て小銃一丁を製造し

たものである。

【落田事件】

(犯行に至る経緯)

一  i'奪還の失敗

1  オウム教団の信者iの母であるi'は、昭和六二年ころからパーキンソン病に罹患し、一般病院で受診していたが、経過は思わしくなかった。そのため、iや出家信者V2は、東京都所在のオウム教団附属医院(以下「附属医院」という。)への入院と修行を勧め、i'は、平成三年一〇月ころオウム教団に入信し、引き続き同年一一月には附属医院に入院した。i'は、附属医院において、通常の投薬治療や、摂氏四七度の湯に繰り返し入る温熱療法と称するオウム教団独自の治療を受けたが、病状は一向に改善せず、平成五年一二月末からは、第六サティアンに移り、治療と修行を継続した。なお、iは、平成四年にオウム教団を脱会した。

2  出家信者落田某は、iとは既に面識はあったが、平成二年一〇月から附属医院において薬剤師をしていた関係で、i'やその夫i''とも知り合いになった。ところで、落田は、次第にi'と親交を深める中、その治療方法や修行に対し、かえって症状を悪化させるだけではないかと懐疑心を抱き、i'を第六サティアンから救出することを決意した。そこで、落田は、平成六年一月二二日ころ、オウム教団を離脱し、iやi''に対し、i'を教団施設から奪還しようと説得を続け、iらの同意を得た。

3  そこで、落田、i及i''は、平成六年一月三〇日未明、iの幼い弟i'''を連れ、i''所有の普通乗用自動車で第六サティアン付近に到着した。警備が手薄になるのを待った落田及びiが、i''とi'''を車中に残し、あらかじめ用意していた催涙スプレー、火炎瓶等を携帯し、第六サティアンに忍び込んだ。落田、iの両名は、第六サティアン三階の医務室で寝ていたi'を発見し、同女を抱きかかえて連れ出そうとしたが、信者らに発見されてしまった。二名は、催涙スプレーを噴射するなどして抵抗したものの、取り押さえられて手錠を掛けられた上、ワゴン車に乗せられ、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第二サティアンと称するオウム教団施設(以下「第二サティアン」という。)に連行された。

二  乙川による落田殺害の指示

1  第六サティアンの自室にいた乙川は、Gらから報告を受けて事態を知り、前記のように、Gに対し、落田、iの両名を第二サティアンに連行するよう指示した。被告人Rは、第六サティアンのシールドルームと称する個室で修行をしていたが、女性信者の「表に出てください。」という声を聞いて部屋の外に出たところ、取り押さえられた落田及びiを目撃した。信者の一人が、「尊師に報告しろ。運び出せ。」などと叫んでいるのを聞き、被告人Rは、乙川の専属運転手という役目上自室に戻り待機した。

2  その後、連絡を受けた被告人Rは、第六サティアン一階にある乙川の居室出入口の前に普通乗用自動車(ベンツ)を停めて待機していたところ、乙川が妻のV1(以下「妻V1」という。)ともども車に乗り込んできた。乙川は、被告人Rに対し、第二サティアンに向かうよう指示した。被告人Rは、発車後間もなく、乙川の「今から処刑を行う。」との発言と険しい表情を見聞きし、乙川が落田及びiの殺害を本気で考えていることが分かった。被告人Rは、殺害には関わりたくないと思う反面、乙川の指示があれば、自分自身の手で落田らを殺害しなければならないと腹をくくった。また、乙川から、落田らの第六サティアン侵入の様子などを尋ねられた被告人Rは、「催涙ガスを掛けられたみたいです。」などと報告した。

3  第二サティアンに到着後、被告人Rは、従前車中で乙川の帰りを待つことが多かったにもかかわらず、乙川から「上に来てくれ。」と指示されたことから、自分自身が落田らを殺害することになるかもしれないなどと覚悟を決めた。被告人Rは、乙川及び妻V1に続いて、第二サティアン三階の「尊師の部屋」と呼ばれる瞑想室(以下「瞑想室」という。)に入った。その後、D、G、V2、U、V3らが順次入室した。乙川は、中央に置かれたソファーに、妻V1が畳の上に、それぞれ座り、被告人Rらは、乙川と対面する形で座った。

4  Gらが、落田らを取り押さえた経過、落田が所持していた手帳の記載内容等を報告した後、乙川から落田及びiの殺害を意味する「これからポアを行うがどうだ。」との問い掛けがあり、その場にいた被告人Rらに順次意見を求めた。これに対して、D及びGは、「ポアしかないと思います。」「二人の行った行為は教団破壊であり、二人ともポアしかないと思います。」などと返答し、Uも「泣いて馬謖を斬るという諺もあり、どうせポアするなら、様々なものの人体実験をした方がいいんじゃないでしょうか。」と発言した。被告人R自身も、「仕方ないですね。」とか「そう思います。」などと落田らの殺害に賛同する意見を述べ、最後に、妻V1が「自分がまいた種ですからね。」と言って、結局主要メンバーが賛意を表明した。これに対し、乙川は、iが落田とi'の特別な関係を知らないとすると、カルマからして、iが落田をポアすべきであるとの考えを示した。

5  乙川は、部屋の外で監視の下に待機させられていた落田及びiのうち、i一人を呼び入れるよう指示し、iは、両手に前手錠をされた状態で、乙川の正面に正座させられた。このころまでにHも瞑想室に来た状況下で、乙川は、iに対し、落田とi'の特別な関係を明らかにした上、「お前はちゃんと家に帰してやるから、心配するな。大丈夫だ。ただ、それには条件がある。それ(修行)と、お前が落田を殺すことだ。」などと言って、iを解放する条件として落田を殺害するよう促した。さらに、乙川は、黙っているiに対し、「落田はお前のお袋さんを巻き込んで戒律を破ったばかりではなく、お前を騙して、お前にも大きな悪業を積ませた。だから、ポアしなければいけない。分かるな。」などと言って、教義上の正当性を強調するなどして、iの決意を促した。iは、時間稼ぎをしようとしたが、「ナイフで心臓を一突きにしろ。」「今直ぐ決めろ。」などと断固たる態度で迫る乙川の態度に気おされ、解放してくれることを念押しした上、やむなく落田殺害を承諾した。

三  落田殺害の準備行為

1  乙川の指示の下、被告人Rは、Gらとともに、第二サティアン三階踊り場付近に監視の上待機させられていた落田を瞑想室に連行した。落田は、室内が汚れることを慮ってGが用意した青色ビニールシートの上に、座らされた。また、被告人Rは、落田殺害が漏洩するのを恐れ、乙川の判断を仰いだ上、落田監視のため残っていた信者数名を第二サティアンから退出させた。さらに、被告人Rは、瞑想室の内鍵を掛けて外部と遮断した上、乙川の左斜め前辺りに立ち、落田が乙川に襲い掛かってきた場合に備えて身構えていた。

2  GあるいはDが、乙川に対し、信者に用意させた直径約五ミリメートルのロープの束を示して「このロープでいいんじゃないですか。」と尋ねたところ、乙川は、「それでいいじゃないか。それでいこう。」と了承した。Gは、扱いやすいように、落田の所持していたナイフでロープを三、四メートルの長さに切断し、iに渡した。

3  iは、落田に対する後ろめたさから、直視することはできず、乙川に対し、「目隠しをしてもらえないですか。」と依頼したところ、自身で行うよう指示され、ガムテープを用いて落田に目隠しをした。また、落田が催涙スプレーを使用したことを知った乙川が、落田に対しても催涙ガスを吹きかけるべきである旨発言したことから、iは、Dらに命じられ、落田の頭部に黒色ビニール製ゴミ袋を被せた上、落田から取り上げておいた催涙ガスをゴミ袋内に噴射した。

(罪となるべき事実・第三)

被告人Rは、オウム真理教代表者乙川次郎こと乙川次郎、V1、D、G、U、H、V3、V2、iらと共謀の上、落田某(当時二九歳)を殺害しようと企て、平成六年一月三〇日未明、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第二サティアンと称するオウム教団施設内三階の「尊師の部屋」と呼ばれる瞑想室において、iが、落田某の頸部にロープを巻き付け、両手で絞め付け、さらに、二つ折りにしたロープの一方に右足をかけ、他方を両手で引っ張って頸部を絞め続け、その間、D、G、Uらが苦悶して必死に暴れる落田某の身体を押え付けるなどし、よって、そのころ、同所において、同人を窒息死させて殺害したものである。

(犯行以降の状況)

一  殺害時の状況

1  Dは、iが落田の頸部にロープに巻き付ける際に他の信者が手助けをすると、「iにやらせるんだから、手を出すな。」と叱った。また、Gは、抵抗する落田の姿を見て、「前手錠では駄目だから、後ろ手錠にしろ。」と命じ、その場にいた他の信者をして、落田の手錠を後ろ手錠にさせたり、iに対し、「ひもの片方に足を掛けて引っ張れ。」などと命じた。

2  被告人Rは、iらが殺害行為を実行している最中、乙川の前に立って警護をする傍ら、状況次第では、落田を取り押さえようと、その側まで近付いたりした。また、被告人Rは、乙川に対し、「押さえ込んでいます。落田は少しバタバタしています。」「バタバタしなくなってきました。」「動かなくなりました。」などと状況説明した。

二  殺害後の状況

1  乙川は、医師の資格を持つHから落田死亡の報告を受け、毎週定期的にオウム教団の道場に通うことを条件にiを解放した。その後、乙川が妻V1に対し、「ヤソーダラー(妻V1のホーリーネーム)には見せたくなかった。」と言ったところ、妻V1は、「法則どおりだと思います。」と答えた。続いて、乙川が、被告人Rの方に向き直り、「ガンポパはどうだ。」と尋ねてきた。被告人Rが、仏話を引用して落田殺害が許容される行為である旨答えようとしたところ、Dが、落田の遺体の処理につき、指示を仰いできたため、腰を折られてしまった。

2  被告人Rは、乙川がDらに対し、落田の遺体の処理を任せた後、乙川と妻V1を乗せて、第六サティアンの乙川の自宅まで送り届けた。

【冨田事件】

(犯行に至る経緯)

1  乙川は、平成五年秋ごろから、オウム教団が毒ガス攻撃を受けているなどと説法等で説き初め、翌年三月ころからは、盛んに、イペリットガスあるいはマスタードガスと呼ばれる毒ガスが複数の教団施設に噴霧されているとし、さらに、省庁制が導入された同年六月下旬ころからは、オウム教団内に公安、警察のスパイがおり、各種の破壊工作を行っているなどと吹聴するようになった。そのため、出家信者は、スパイチェックと称し、嘘発見器に掛けられたり、バルドーの導きという儀式、すなわち、疑いを持たれた信者を、ヤマ役(閻魔役)、ダルマパーマ役(弁護士役)の者がペアを組んで、懺悔させることが日常茶飯事的に行われ出した。また、そのころ、オウム教団内では、生活用水等からイペリットが検出されたという話が伝わり始めた。こうした最中、同年七月八日、治療省所属の女性信者が、温熱療法中に皮膚が剥げ、意識を消失するという事故が発生したため、オウム教団では、生活用水に毒物が混入されたことが原因である旨説明していた。そのため、翌九日には、防衛庁から井戸水を飲用しないようにとの通知がなされた。

2  ところで、冨田某は、平成六年四月に出家信者となり、同年六月ころから車輌省に所属し、富士山総本部にある井戸の水をミルクローリーと呼ばれるタンクローリーに入れて、上九の教団施設に運ぶ仕事などに従事していた。Oは、平成六年七月上旬ころ、乙川から、他の車輛省のメンバーと同様、冨田を嘘発見器に掛けるよう命ぜられ、これを実施した。その結果、冨田が「ミルクローリーの水に毒を入れたかどうか。」という質問に対し、特異な反応を示したことから、Oは検査結果を陽性と判定し、その旨乙川に報告した。乙川は、Gに対し、冨田に毒を入れたことを自白させ、背後関係も明らかにするよう命じた。自治省大臣であるGは、同省に所属する被告人R、M及びB1の三名に手伝わせることにした。

3  Gは、平成六年七月一〇日前後ころ、第二サティアンに冨田を連行するため、同人を富士山総本部まで迎えにいった。車中で、Gは、同行した被告人Rに対し、事情を打ち明けた。Gと被告人Rが、その日の午後、冨田を連れて第二サティアン前に赴くと、Gから集合するよう指示を受けたMとB1も同サティアンに来ていた。Gは、冨田に対し、尊師の警備担当になる予定なので、テストを行う旨虚偽を告げ、地下室に連れていった。Gは、体力を消耗させるべく、冨田に対し、まず体力面をテストする旨告げて、ヒンズースクワットと称するトレーニングをするよう命じた。冨田が、これを開始すると、GとMは、竹刀、手錠、束線バンド、アイマスク、針等を取りに第六サティアンに戻った。Gは、その途上、Mにも事情を話した。B1は、第二サティアン内で、Gから、尋問を行うので手伝うように指示されていた。

4  第二サティアンに帰ったGは、冨田に対し、今度は精神面を見るからバルドーの導きをする旨虚偽を申し向け、パイプ椅子に座らせた上、被告人Rらとともに、手錠二個、束線バンド等を用いて、冨田の両手足や胴体を椅子に強く縛り付けて動かないように固定した。そして、Gと被告人Rがヤマ役、Mがダルマパーラ役を装い、アイマスクを着用した冨田に対し、実質的な拷問を開始した。Gは、「ミルクローリーの水に毒を入れたろう。誰に頼まれて毒を入れた。」「ポリグラフで反応が出た。お前はスパイなんだろう。」「お前がイペリットを入れたのは分かっているんだぞ」「お前がイペリットを入れたためにシャワーを浴びた女性サマナの肌がただれた。」などと次第に語調を強めて激しく追及した。また、Gは、乙川から被告人Rにやらせる旨の指示があったとして、同被告人に対し、冨田を竹刀で叩いたり、待ち針を足の爪の間に刺したり、熱した掻き出し棒を腕に押し当てたりさせたが、冨田が頑として否定したため、業を煮やしたG自ら、同様の拷問行為をより一層激しい態様で行った。一方、M及びB1は、「早く言えば楽になるよ。そうして早く解放された方がいいよ。」「誰かに催眠術を掛けられて知らないうちにやってしまったんじゃないかな。」などと甘言を弄して、事実を認めるよう迫ったが、冨田はいずれについても否定し、濡れ衣であると言い張った。

5  このように、二、三時間に亘って拷問を続けたが、冨田が一向に口を割らないことから、Gは、これ以上拷問を加えても埒が明かないと考え、乙川の指示を仰ぐと言って、一旦外へ出た。しばらくして戻ったGは、M、B1の面前で、被告人Rに対し、「ポア」という言葉を用いて、乙川の意思で被告人Rに冨田を殺害させる旨指示し、左手に持っていたロープを渡した。被告人Rは、躊躇したものの、結局は乙川の意思には逆らえないと考え、冨田殺害を決断した。

(罪となるべき事実・第四の一)

被告人Rは、オウム真理教代表者乙川次郎こと乙川次郎、G、M及びB1と共謀の上、冨田某(当時二七歳)を殺害しようと企て、平成六年七月上旬ころ、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第二サティアンと称するオウム教団施設内(地下一階)において、被告人R及びGが、冨田某の頸部にロープを巻いて絞め付け、よって、そのころ、同所において、同人を窒息死させて殺害したものである。

(その後の経緯)

1  G及び被告人Rは、Mから脈がない旨報告を受けた後も、確実に冨田を殺害しようと、ロープで絞め続けた。冨田の死亡を確認した後、Gは、「プラズマで焼くからこの中に入れてくれ。」と言って、マイクロ波焼却装置で冨田の遺体を焼くよう指示した。被告人Rらは、これも、当然乙川の意思に基づくものであると理解した。

2  G、被告人R、M及びB1は、遺体から手錠や束線バンド等を外し、冨田をパイプ椅子から下ろしてマイクロ波焼却装置のドラム缶の中に入れた。その後、GがB1に対し、「あとは処理しておけ。知ってるだろ。」と命じたが、B1が一人では無理だと言ったことから、結局、被告人RがB1を手伝うこととなった。

(罪となるべき事実・第四の二)

被告人Rは、オウム真理教代表者乙川次郎こと乙川次郎、G、M及びB1と共謀の上、平成六年七月上旬ころ、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺<番地略>所在の第二サティアンと称する教団施設内(地下一階)において、冨田某の死体をマイクロ波加熱装置とドラム缶等を組み合せた焼却装置の中に入れ、これにマイクロ波を照射して加熱焼却し、もって、冨田某の死体を損壊したものである。

【新宿青酸ガス事件】

(犯行に至る経緯)

一  Dからのテロの指示

平成七年三月二〇日(以下、「犯行に至る経緯」における月日は、平成七年を指す。)に地下鉄サリン事件を実行した後、上九の教団施設に戻っていた被告人Qは、翌二一日、警察の捜索があるのでどこかに逃走しろとのDの指示を伝えられ、東京都千代田区<番地略>所在のマンションに潜伏するなどしていたが、三月末ころ、Dから「このまま逃げ回っているだけでは駄目だ。尊師だけはなんとかお守りしなければいけない。捜査の矛先を変え、かく乱するために君たちにやってもらうことがある。例えばガスボンベに可燃性ガスと酸素を圧縮したものを詰めて爆発させる空気爆弾のようなものを作れ。そして、これを使ってテロを行え。」などと指示された。

二  シアン化ナトリウムの隠匿

被告人Qは、四月三日ころ、Dから、今後はUと行動をともにするよう指示され、埼玉県熊谷市でUと合流した。熊谷市には、オウム教団が、自動小銃の部品や薬品類等を大量に隠匿していた倉庫があり、被告人Qは、翌四日ころから八日ころまでの間、Uの指示で、H、T、法皇官房所属のk、科学技術省所属のn、mら十数名とともに、これらの部品、薬品等の仕分け作業を行い、自動小銃の部品を投棄したほか、シアン化ナトリウムを含む薬品類を、栃木県日光市の山中に埋めて隠匿した。

三  西荻アジトでの活動と乙川の指示

1  四月一一日、Uは、Hとともに、Dに呼び出され、捜査かく乱のために、空気爆弾等を使って事件を起こすように指示された。同日、被告人Qらは、東京都杉並区西荻南<番地略>所在の丁有限会社西荻寮(以下「西荻アジト」という。)に新たに拠点を構えたが、翌一二日、Uは、西荻アジトの自室に、被告人Q、H、T、S、V及びNらを集め、「尊師の逮捕を免れるため、捜査のかく乱を狙って行動を起こす。空気爆弾や青酸ガスを使ったテロを起こす計画がある。」などと説明した。この後、引き続いてUとHが中心になって話合いが行われ、捜査かく乱の手段として、肥料爆弾やダイオキシンを製造する方針が決まった。このような話合いの結果を受けて、早速、薬品に詳しいHの指示の下、資料の収集、器具の準備などが開始された。

2  被告人Qは、四月一六日、西荻アジトにおいて、「科学技術省の次官は全員上九に帰れ。」というDの指示を伝え聞いた。そこで、被告人Qら科学技術省の次官五名が、Uを通じて乙川の指示を確認したところ、被告人S、V及びNの三名は上九の教団施設に戻り、被告人Q及びTの二名はその場に残るようにとのことであった。そして、そのころ、被告人Q、H、T及びkは、Uから、個別に、同月三〇日に石油コンビナートを爆破し、以後三〇日ごとにテロ行為をやり続けろなどという内容の乙川の指示を伝えられた。

四  八王子アジトでの活動

1  四月一八日、被告人Q、U、H及びkは、東京都八王子市中野上町<番地略>所在の△△三〇一号室(以下「八王子アジト」という。)に移り、同じころ、東京都杉並区永福<番地略>(以下「永福町アジト」という。)に移ったTも交えて、石油コンビナート爆破のための調査活動を開始した。しかし、被告人QやHが、「コンビナートを爆破するだけの火薬は製造できない、警備が厳しいだろうから忍び込むことも困難だろう。」などと反対し、他の者も同調したことから、石油コンビナートを爆破する話は立ち消えとなった。一方で、ダイオキシンの製造については、引き続いて準備が進められ、Hが、上九の教団施設にいた第二厚生省所属のB2と連絡を取って、ダイオキシンの原料となる薬品を持ってこさせたり、Tがダイオキシン撒布の候補地を調査するなどしたものの、ダイオキシンを製造できる目処は、なかなか立たなかった。

2  なお、Hは、四月中旬ころ、後にシアン化水素ガス(以下「青酸ガス」という。)発生装置に使った塩素酸カリウム及び濃硫酸並びに爆弾製造に使った濃硝酸、ウロトロピン、ペンタエリトリオール及びアセトン等の薬品を、B2を通じて上九の教団施設から入手し、同月二二日ころからは、被告人Qとともに、爆弾の製法が書かれた洋書を参考にしながら、爆薬の製造を開始した。

五  青酸ガス発生計画の具体化

1  四月二三日夜、Dが刺殺されるという事件が発生した。この事件を契機に乙川から新たな指示が出されるということはなかったが、四月三〇日という当初指示された期限は、確実に迫ってきていた。そこで、被告人Q、U、H及びkは、四月二五日ころ、乙川から指示された期限に実現可能な捜査かく乱方法について、改めて話し合ったところ、Hが「青酸ガスを発生させる装置を作るほうが簡単だから、まず、これを作ろう。」と提案をした。Hは、硫酸とシアン化ナトリウムとを反応させることにより青酸ガスを発生させるという時限式装置を製作した上、この装置を多数の人が集まる場所に仕掛けて青酸ガスを発生させれば、多数の人に被害を及ぼすことができ、人々をパニックに陥れることができるなどと説明し、これに反対する者はいなかった。その後、途中から参加したTも含めて、青酸ガス発生装置を仕掛ける場所について話合いがなされ、その候補として映画館、ディスコ、地下道などがあげられたが、その場では結論が出ず、Tが実際に下見をし、警備の状況等も踏まえて、最終的に仕掛ける場所を決定することにした。

2  Hは、四月二六日ころ、青酸ガス発生装置の仕組みについて考案を開始し、被告人Qは、八王子アジトにおいて、Hが行う実験を手伝った。一方、同月二八日には、U、H及びTが、m、nらに指示をして、四月上旬に栃木県日光市の山中に埋めておいたシアン化ナトリウムを取ってこさせた。

3  被告人Q、U、H、T及びkは、四月二九日、永福町アジトに集まり、改めて青酸ガス発生装置を仕掛ける場所について話合いが行われた。Tの下見の報告等も踏まえて検討がなされた結果、東京都心の多数の人が集まる場所を狙って青酸ガスを発生させれば、その作用によって、多数の被害者が出ることになり、間違いなくパニックを引き起こすことができること、青酸ガスは空気よりも軽い性質を持っているため、拡散しやすく、密閉性のある空間の方が、被害が拡大しやすいことなどの理由で、東京都新宿区所在の新宿駅の地下街の便所に青酸ガス発生装置を仕掛けることが決まった。なお、この話合いの際、Hは、便所の個室の中で用を足している人がいたら、すぐには逃げることができず、死んでしまう危険もあるなどと発言をした。話合い終了後、Tは、監視カメラのない便所を探すため、もう一度下見に行き、その結果を、被告人Q、U、H及びkに報告した。

六  犯行の準備状況

1  四月三〇日、Hが、八王子アジトにおいて、試行錯誤の末、青酸ガス発生装置を完成させ、同日、Tが、これを、東京都新宿区所在の新宿駅の地下街の公衆便所に仕掛けたが、Hが、本来カプセル内に塩化ナトリウムを入れるべきところを、誤って砂糖を入れてしまったため、青酸ガス発生装置が作動せず、計画は失敗に終わった。

2  被告人Q、U、H、T及びkは、五月一日ころ、八王子アジトで話し合い、もう一度、新宿駅の地下街の別の便所に青酸ガス発生装置を仕掛けることとなった。その際、青酸ガス発生装置については、一回目とは別の方式のダンボール箱を用いたものが考案され、被告人Qは、Hの発火装置の実験を手伝うとともに、装置を収納するダンボール箱などを製作した。同月三日、Hは、Tとともに、東京都新宿区所在の新宿駅の地下街の公衆便所に青酸ガス発生装置を仕掛けに行ったが、付近に人通りが多く、また警察官が立っているなどしたため、仕掛けることができなかった。Hは、青酸ガス発生装置を八王子アジトに持ち帰ったが、同日夜、台所で装置を分解していた際、誤って青酸ガスを発生させてしまい、アジトにいた全員が、隣の部屋に約三〇分間避難し、窓を開け放すという出来事があった。

3  被告人Q、U、H、T及びkは、五月四日、八王子アジトにおいて、前日の失敗を踏まえた上で、改めて青酸ガス発生装置を作ることとなった。その際、同じ場所を狙うのは危険だということで、教団に批判的なマスコミを狙う案も浮上し、被告人Qが下見に行くなどしたが、結局、前二回と同様、新宿駅の地下街の便所に仕掛けることが決まった。青酸ガス発生装置は、便所備え付けのゴミ容器内に仕掛ける方式にすることとなり、装置が不審物として取り除かれることがないように、便所の清掃時間を確認することになった。被告人Qは、Hが青酸ガス発生装置を製作するのを手伝い、発火装置に用いるダンボール小箱の製作や発火実験などを行った。

4  kは、五月五日午後二時過ぎころ、あらかじめTから指示をされた東京都新宿区西新宿一丁目西口地下街一号帝都高速度交通営団新宿駅東口脇男子公衆便所の清掃終了を確認し、nを通じてTに報告した。Hは、同日昼ころ、青酸ガス発生装置を携帯して八王子アジトを出発し、永福町アジトでTと合流した上、同日午後四時過ぎころ、新宿駅西口に到着した。

(罪となるべき事実・第五)

被告人Qは、U、H、k及びTと共謀の上、駅の公衆便所内にシアン化水素ガス発生装置を仕掛け、同ガスによりその利用者等を殺害しようと企て、平成七年五月五日午後四時五〇分ころ、東京都新宿区西新宿一丁目西口地下街一号帝都高速度交通営団新宿駅東口脇男子公衆便所の個室において、Hが、同所備え付けのゴミ容器内に、シアン化ナトリウム約一四九七グラムとともに、濃硫酸入りペットボトルと発火剤として塩素酸カリウム等を充填したダンボール小箱在中の時限式発火装置を入れたビニール袋一個を置き、その上に、希硫酸約一四一〇ミリリットル在中のビニール袋一個を載せ、時間の経過により、発火剤がペットボトルから溶け出した濃硫酸と化学反応を起こして発火し、両袋を焼燬して希硫酸とシアン化ナトリウムを反応させてシアン化水素ガスを発生するよう仕掛けを施してこれらを設置したが、同日午後七時過ぎころ、これを発見した清掃作業員によって、両袋が同便所出入り口付近に移動され、同日午後七時三〇分過ぎころ、発火装置からの発火を目撃した通行人の通報により現場に臨場した同駅職員に直ちに消火されるなどしたため、シアン化水素ガスを発生させるに至らず、殺害の目的を遂げなかったものである。

【都庁爆弾事件】

(犯行に至る経緯)

一  爆弾製造計画の決定

1  被告人Q、U、H、k及びTは、新宿青酸ガス事件において、青酸ガスが発生せず、死傷者が出なかったことを報道で知ったことから、教団に対する強制捜査を妨害し、乙川の逮捕を回避するためには、さらに事件を起こして捜査をかく乱する必要があると考え、被告人QとHが、八王子アジトにおいて、従前から行っていた爆薬製造作業に精を出していた。

2  オウム教団東信徒庁長官oは、平成七年五月八日(以下、「犯行に至る経緯」における月日は、平成七年を指す。)ころ、八王子アジトにいる被告人Qらに対し、「一週間以内に何があっても動揺しないように。」「有能神が怒っている。」という乙川のメッセージを伝えに来た。被告人Q、U、H、k及びTが、メッセージをどのように解釈すべきか話し合った結果、「乙川が一週間以内に逮捕される。そのことで乙川が怒っている。」と理解するべきであり、そうである以上、一週間以内にできる限り捜査をかく乱しなければならないという共通認識を持った。

3  そこで、一週間以内に何ができるかと話し合っていたところ、Hが「爆弾だったらすぐできる。」、Uが「青島都知事に爆弾を送り付けて爆発させよう。」などと発言したのをきっかけに、青島幸男東京都知事に爆弾を送り付けることが決まった。青島都知事が標的になった理由は、都知事が当時世界都市博覧会中止を主張して、世間の注目を集めており、それに対する反対者も多数いたことから、犯行をその反対者の仕業に偽装できるということなどにあった。

4  また、爆弾は、書籍をくり抜き、その中に起爆装置と爆薬を仕掛け、開披すると爆発する仕組みとすること、世界都市博覧会中止に強く反対していた都議会自由民主党幹事長の田中某を差出人として、爆弾を東京都知事に、その住所については博覧会中止によって大損害を被ると見られていた東京都中央区銀座所在の日航ホテルにすることが決まった。また、爆薬は新たに製造するトリメチレントリニトロアミン(別名ヘキソーゲン)を使うこと、起爆装置については電気関係に詳しいZに手伝わせることも決まった。

二  爆弾製造の準備

1  被告人Qは、五月九日ころ、八王子アジトにおいて、爆弾の製法が書かれた洋書を参考にしつつ、Hの教示を受けて、爆薬であるトリメチレントリニトロアミンの製造のほとんどを手掛けた。続いて、Hが起爆剤となるアジ化鉛を造った。

2  Zが、五月一〇日ころ、起爆装置の部品、工具類のほか、内部をくり抜いた新刊書を八王子アジトに持参し、Hとともに、起爆装置の製作と爆弾の組立てを開始した。

(罪となるべき事実・第六)

被告人Qは、U、H、k、Zらと共謀の上、治安を妨げ、かつ、東京都知事青島幸男らを殺害する目的をもって、

一  平成七年五月九日ころから同月一一日ころまでの間、東京都八王子市中野上町<番地略>△△三〇一号室(八王子アジト)において、H及びZにおいて、新刊書の内部をくり抜き、その中に、爆薬トリメチレントリニトロアミン(別名ヘキソーゲン)を充填したプラスチック製ケースを挿入し、ケースに起爆剤であるアジ化鉛を詰め込んだグロープラグ及びアルカリ電池を接続して、書籍の表紙を開披することにより絶縁紙が外れて通電し、爆発するように仕掛けを施した爆発物一個を製造し、

二  平成七年五月一一日午後七時ころ、kにおいて、東京都新宿区内の郵便ポスト内に、製造した爆発物在中の茶封筒を東京都知事青島幸男宛て速達郵便物として、投函し、翌一二日午後六時ころ、情を知らない郵便配達人をして東京都渋谷区松濤<番地略>所在の東京都知事公館に配達させた上、同月一六日午後三時三〇分ころ、情を知らない東京都総務局知事室管理係員をして東京都新宿区西新宿<番地略>所在の東京都庁第一本庁舎七階知事秘書室まで運搬させ、同日午後六時五七分ころ、知事秘書室において、東京都知事宛て郵便物の確認作業をしていた東京都総務局知事室知事秘書担当副参事内海某(当時四四歳)をして郵便物を開封させ、同人が書籍を取り出してその表紙を開けると同時に、起爆装置を作動させて爆発させて爆発物を使用するとともに、内海某に入院加療五一日間を要する左手全指挫滅切断、右手拇指開放性粉砕骨折、顔面・頸部・両上肢・前胸部・腹部多発挫創等の傷害を負わせたが、殺害の目的を遂げなかった

ものである。

【証拠の標目】<省略>

【争点とこれに対する判断】

第一  争点

被告人Q及び被告人Sの弁護人は、両被告人に対し、極刑を科することを避け、無期懲役刑に処するべきであると弁論し、被告人Rの弁護人は、同被告人について無罪を主張し、仮に有罪としても、寛大な量刑を求めた。弁護人らの主張の論拠は、多岐に亘るので、各事件毎にその骨子を挙げることとする。

一  地下鉄サリン事件(被告人三名)

1  被告人Q及び被告人Sは、それぞれ担当した路線以外の路線における犯行の共謀に関与したと評価することはできない。

2  被告人Rは、(一)共謀共同正犯ではなく、単なる幇助犯にすぎない、(二)確定的殺意はなく、未必的殺意しか有していなかった。

二  自動小銃製造事件(被告人Q)

被告人Qは、自動小銃製造事件(判示第二の一の事実)の共謀には関与していない。

三  落田事件(被告人R)

被告人Rは、(一)乙川らとの共謀には関与しておらず、仮に関与したとしても、幇助犯にすぎない、(二)その幇助行為も、自己保身のためのやむにやまれぬ行為、すなわち適法行為の期待可能性のない状況下で行われたものである。

四  冨田事件(被告人R)

被告人Rは、(一)乙川との共謀には関与していない、(二)自己の死を選ぶか、冨田を殺害するかの二者択一を迫られていたのであるから、緊急避難、過剰避難又は誤想避難に該当する、(三)適法行為の期待可能性がなく、超法規的に責任が阻却される。

五  新宿青酸ガス事件(被告人Q)

被告人Qについて、(一)本件青酸ガスの殺傷能力の具体的危険性は、立証されていない、(二)その殺意は、未必の殺意というべきもので、しかも、人の死亡という結果発生についての認識・認容は極めて漠然としたものである、(三)犯人が誰であるか捜査機関に全く発覚していない時点において、深い悔悟の念から犯罪事実を自ら進んで申告し、その結果、犯罪事実の解明に貢献したものであるから、自首減軽をすべきである。

六  都庁爆弾事件(被告人Q)

被告人Qは、(一)東京都知事青島幸男らを殺害する目的は有していなかった、(二)その殺意は、未必の殺意というべきもので、しかも、人の死亡という結果発生についての認識・認容は極めて漠然としたものである、(三)犯人が誰であるか捜査機関に全く発覚していない時点において、深い悔悟の念から犯罪事実を自ら進んで申告し、その結果、犯罪事実の解明に貢献したものであるから、自首減軽をすべきである。

七  各事件共通(被告人Q及び被告人S)

1  被告人Qは、(一)乙川又はオウム教団によるいわゆるマインドコントロール(心理操作)に支配されて各事件を敢行したものであるから、心神耗弱の状態にあった、(二)乙川の指示・命令が教義上も組織上も絶対性を持つ状況下で、その指示・命令に背いて犯行を思い止まり、適法行為に出ることを期待することは著しく困難であるか、少なくとも、困難であると誤信しており、その誤信には真にやむを得ない事情が存在したのであるから、責任非難は軽減されるべきである。

2  被告人Sは、(一)各事件当時、「特定不能の解離性障害」にまで至っており、心神耗弱の状態にあった、(二)絶対的な存在である乙川の指示に基づき、三悪趣に落ちる現世の人達の救済であると思って、各事件に関与したものであり、適法行為の期待可能性は、極めて乏しかった。

八  死刑制度の違憲性(被告人S)

死刑制度を規定した刑法九条及び同法一一条並びに死刑を法定刑に加えた刑法一九九条等は、憲法一三条、三一条、三六条等に違反したものであり、検察官の死刑求刑についても、憲法違反又は憲法解釈に誤りがある。

以上、各弁護人が主張した各争点について、事件毎に当裁判所の判断を示すこととする。

第二 地下鉄サリン事件

一  共謀共同正犯の成否

1  弁護人の主張

(一)  被告人Q及び被告人Sの弁護人は、本件全体についての共謀は成立していない旨主張し、その論拠を異なった表現で縷々述べるが、その主眼点は共通であり、要するに、各被告人が実行役を引き受けた動機、犯行目的に対する認識、実行方法についての認識等はそれぞれ異なっており、他の実行役などの共犯者とも必ずしも共通なものではなく、両被告人にとっての関心は、ひとえに尊師である乙川の指示をそのとおり確実に実行することにあったのであるから、結局、両被告人とも、同時多発的な大規模テロを決行するとの共同意思の下に一体となり、共犯者各自の実行行為を互いに利用し合いながら犯行を遂行しようと謀議を行ったと評することはできないということである。

(二)  被告人Rの弁護人は、同被告人は担当路線における幇助犯にすぎない旨主張し、その論拠として、同被告人らはオウム教団幹部の命令に従わざるを得なかったのであるから共謀は成立しておらず、運転手役は犯行に必要不可欠であったとはいえないことなどを挙げる。

2  共謀共同正犯の認定

(一)  被告人Q及び被告人S

被告人Q及び被告人Sの弁護人の主張から検討する。なるほど、次に述べるとおり、被告人らの犯行に関与した動機や犯行目的に対する認識は、相互に異なっているか、少なくとも一様のものではない。

まず、犯行に関与した動機として、被告人Qは、「尊師である乙川の指示を実行することは、解脱に至る修行であり、救済であると信じていたこと」を、被告人Sは、「タントラ・ヴァジラヤーナの救済と理解したこと」を、被告人Rは、「落田事件や冨田事件にも関与し、今更オウム教団を逃げ出すこともできないなど」を、それぞれ挙げているところ、これらを否定するに足りる証拠はなく、仔細に述べないが、他の実行役の中にも、固有の動機を述べている者がいることは事実である。そうすると、弁護人主張のとおり、犯行関与の動機は、実行役や運転手役の間においても、必ずしも一様のものではない。

次に、犯行目的についてであるが、被告人S、T、Oの三名の実行役は、犯行二日前である三月一八日、Dの部屋において、強制捜査の矛先を変えること、すなわち、教団施設に対する強制捜査を阻止することであると聞き知ったと供述している。これに対し、Vは、その点不明確な供述しかしていないが、右実行役三名の供述の信用性に鑑み、Vも同一機会にその犯行目的を了知したというべきである。これに対して、被告人Qは、当公判廷において、Dから自分を除く四名の実行役がサリン撒布の指示を受けた際に同席していなかったことから、強制捜査の矛先を変えるということは聞いておらず、犯行目的は、漠然と警察による宗教弾圧に対する対抗であると認識していたとほぼ一貫して供述している。なお、捜査段階では、「杉並アジトにおいて、その場にいた誰かから、犯行計画の概要とその目的がオウム教団に対する強制捜査の矛先を変えることであることを聞かされて知った。」旨述べているが(乙A一一号証)、これは、弁護人指摘のとおり、被告人Q自身、その具体的場面や時期は思い出せないばかりか、他の明確に記憶している事項と異なり、多分私の頭にあったように思うことの一つであると述べるに止まっている。この捜査段階における供述の曖昧さや抽象性、公判供述の一貫性等に照らすと、被告人Qの犯行目的に関する認識は、警察による宗教弾圧に対する対抗であったと認定するべきであると考える。そうすると、被告人Qの犯行目的についての認識は、その余の実行役のそれとは必ずしも一致していなかったことになる。(もっとも、被告人Q自身、第二三回公判において、強制捜査の矛先を変えるとの言葉は聞いていないものの、趣旨としてはそうなるかもしれないと自認していることからしても、この程度の不一致であれば、実行役五名の犯行目的に対する認識が全く異質であるとはいえず、警察捜査に対抗するという点において同一方向を目指していたものと評価してよいものではある。)

ところで、被告人三名、O、Tの各供述等によれば、実行役五名と運転手役五名は、参集した渋谷アジトにおいて、Uから乙川の決定した実行役と運転手役との組合せを伝達されたほか、Uが中心となって、具体的な犯行計画や実行手順として、犯行当日である三月二〇日午前八時に、地下鉄霞ケ関駅を標的として、一斉に各自の担当路線の地下鉄車内でサリンを撒くことを最終的に確認し合ったことが認められ、これは、単なる指示を受けたにすぎないとか、指示を確認し合ったという範疇を超えて、共同実行の意思を相互に確認した行為と評価できるものである。これを裏付けるように、被告人Qは、「実行犯と運転手役の合計一〇人は、五つの路線に、一斉にサリンを撒くために、互いに一体となって同じ計画のもとで、協力し合っているという意識がありましたので、渋谷アジトにあるものは、誰が買ったものでも、勝手に使っていいものだと思っていたからです。」(乙A一五号証)と述べ、被告人Sも、「同時多発的に行って、騒ぎを大きくするためではないかと思いました。」(第二二回公判)との認識を示している。なお、Uは、渋谷アジトにおいて、乙川が決定した組合せを伝達したことは自認しているものの、最終的確認を行ったことは知らない旨供述するが、この場に同席した被告人三名、O及びTの各供述は、詳細において微妙な食い違いはあるものの、Uから組合せの伝達を受け、前記のような具体的実行方法等について話が出たという大筋において一致しており、Uのこれに反する供述部分は信用できない。

そこで考えてみるに、そもそも弁護人は、犯行関与の動機や犯行目的の認識の相違は、共同実行の意思の形成ひいては謀議の存在を否定することに繋がるというが、確かに、動機や犯行目的の共通性は、共同実行意思形成を強く推認させる間接事実ではあるものの、その不可欠な要件ではないことも明らかであって、前述したように、実行役や運転手役等の間で、渋谷アジトにおいて、共同実行の意思の確認があった以上、その犯行関与の動機、犯行目的の認識が一様でないとしても、直接的な謀議行為があったと評価することの妨げにならないというべきである。

翻って考えてみると、前記「乙川及び実行役らの順次共謀の状況」及び「犯行に使用したサリンの生成」の項で認定した事実によれば、被告人らが、乙川、D、Uのみならず、その余の実行役及び運転手役やサリン製造者との間で、直接あるいは乙川やDを介して、順次共謀を成立させたことは明らかであり、各弁護人が、これらの者との共謀を否定する主張は、採用できない。

(二)  被告人R

被告人Rの弁護人の主張のうち、まず、運転手役が犯行にとって必要不可欠とはいえないという点につき検討する。犯行当日の午前八時に、地下鉄霞ケ関駅を標的として、一斉に各自の担当路線の地下鉄車内でサリンを撒布するという犯行計画自体や、サリンの殺傷能力からして実行役の身にも危害が及ぶことが十分に予想されることなどに鑑みると、犯行自体の完遂や目的の達成のためには、犯行時刻として予定された午前八時に合わせて実行役を確実に乗車駅等へ送り届け、犯行を終えた実行役を迎えて確実に逃走させる運転手役が客観的に見ても必要不可欠であったというべきである。現に、各運転手役の送迎により、実行役は、計画どおり、午前八時ころ犯行を終了し、渋谷アジトまで無事に帰還できたこと、とりわけ、被告人Sにおいて、右足が痙攣するなどのサリン中毒症状を発症したにもかかわらず、秘密裏に、オウム教団の附属医院を経由して、渋谷アジトにたどり着いたことは、運転手役の必要不可欠性を雄弁に物語るものである。そして、被告人Rは、渋谷アジトでの最終確認の際、実行役を送り届ける駅と迎えにいく駅が離れている場合には、車の渋滞などにより、予定の時間に迎えにいけなくなるので、余裕を見て朝六時ころに出発すればよい旨自ら発言していることからして、運転手役の役割を十分に認識していたといってよい。

また、弁護人は、被告人Rにおいて、乙川を初めとするオウム教団幹部の命令に従わざるを得なかった故に、共謀は成立しない旨主張するところ、その趣旨は、被告人Rは単なる道具にすぎない(弁護人の冒頭陳述参照)というのか、共同実行の意思がないというのか、必ずしも弁論においては定かでない。しかしながら、いずれにせよ、被告人Rは、乙川らの指示に呼応して、自ら運転手役としてその任務を果たそうとする意思自体があったことを自認しており、しかも、渋谷アジトにおいて、他の実行役や運転手役とともに、地下鉄サリン事件を敢行しようと最終確認したことも明らかである。そうすると、被告人Rは、乙川、D等の最高幹部や実行役等との共同実行の意思をもって犯行に及んだといえるから、弁護人の指摘は当たらない。

そうすると、被告人Rが実際に果たした運転手役の必要不可欠性に加えて、既に認定した、乙川やDの指示に端を発し、渋谷アジトにおける最終確認までに至る共同実行の意思の形成過程等に鑑みると、被告人Rは幇助犯にとどまるものではなく、共謀共同正犯の責任を負うというべきである。

二  被告人Rの確定的殺意の有無

1  弁護人の主張

被告人Rの弁護人は、同被告人において、オウム教団がサリンを真実生成できたか否か、生成できたとしてもその毒性について懐疑的であったから、確定的な殺意はなく、未必的殺意しか有していなかった旨主張し、同被告人も、当公判廷において、同趣旨の供述をするので、以下検討する。

2  確定的殺意の認定

(一)  まず、被告人Rは、サリンが少量でも人を殺害することのできる極めて危険な毒ガスであることは、平成六年六月に発生したいわゆる松本サリン事件の報道や第七サティアンでサリンプラントの作業に入った際、Hの説明で承知していた旨自認しているところ、Tから地下鉄サリン事件実行の直前、サリン入りの袋を見せられた際、本物のサリンと思っていたと自白し、さらに、公判廷においては、「サリン撒布のため地下鉄に乗車するTから、別れ際に、待ち合わせの時間より一五分か二〇分くらい経過しても戻ってこなければ、自分を置いて帰ってくれという趣旨の発言を聞き、思わず、生きて帰って下さいとの意味も込めて、激励した。」とか、「サリンが本物でないことを祈っていた。」などと犯行に使用されたサリンが本物であることを前提とする供述をしている。これらの供述は、次のような事情に照らすと、合理的根拠に裏付けられた信用できるものである。すなわち、まず、被告人Rは、松本サリン事件について、薄々オウム教団による犯行ではないかと感じていたことを認めているが、同時に、この疑念を抱いた根拠として、同事件の翌日だったと思うが、Kから、レンタカーの修理を依頼された際、車が松本ナンバーであったことや事故証明を取れないと告げられたことを挙げており、信を置くことができるものである。これは、地下鉄サリン事件の前に敢行された松本サリン事件において、既にオウム教団がサリンの生成に成功し、そのサリンも人を殺傷する能力を十分に有することを認識する契機となり得る事情である。また、被告人Rは、平成六年七月末ころから、第七サティアンでサリンの製造に関わった際、りーダー格であるHから、直接吸った場合には命が危ないので、サティアンから逃げ出すしかないとの説明を受けたと述べているが、これは、オウム教団に殺傷能力を有するサリンの生成能力があるとの認識を有する根拠となり得る事情である。さらに、ペアの実行役であるTが、被告人Rに対し、解毒剤を自ら注射できないときは、代わって注射をしてくれるよう依頼しているが、これは、地下鉄サリン事件に実際に使用された物が現実に殺傷能力を有することを認識する根拠となり得る。

(二)  これに対し、真実サリンが生成されたか否かあるいは本件犯行に使用されたサリンの毒性について懐疑的な認識しか有していなかった旨の被告人Rの公判供述の一部は、その認識の根拠として、オウム教団のこれまでの非合法活動が失敗に終わってきたからであるとか、サリンの中間生成物の処分に関与したが、その際全て処分すると聞いていたからなどという間接的な事柄を基に単なる推測を述べているに止まり、本物のサリンが生成されたと思っていた旨の自白の合理性を裏付ける具体的で迫真性のある事情の前には説得力を欠き信用できない。

(三)  このように、オウム教団がサリンの生成に成功し、そのサリンも十分に殺傷能力を有していたことを認識していた旨の被告人Rの供述は、信用に値し、既に認定した犯行に至る経緯を併せ考えれば、同被告人は、本件犯行当時、未必の故意にとどまらず、不特定多数の地下鉄乗客等に対する確定的殺意を有していたことは優に認められる。

第三 自動小銃製造事件

一  弁護人の主張

被告人Qの弁護人は、同被告人は、乙川の指示・命令を受けて、自動小銃を製造するためのごく一部分について準備的行為、予備的行為又は補助的行為を、ワークあるいは修行として行ったにすぎず、共謀共同正犯の認定はできない旨主張する。

二  共謀共同正犯の成否

1  関係各証拠により、被告人Qが自動小銃製造事件に関わるようになった経緯、行った作業内容、共犯者間の意識等を改めてみてみることにする。

(一)  被告人Qは、被告人S、Vらとともに、乙川から、平成六年二月二八日、ホテル「丙」に呼び寄せられ、それまでVが中心となっていた自動小銃製造作業に加わり、一、二か月以内に一〇〇〇丁を完成するよう指示され、これを承諾した。

(二)  被告人Qは、平成六年三月二〇日ころ窒化炉を完成させて、第一一サティアンに搬入し、誘導加熱炉の製造にも着手し、さらに、銃腔内部のクロムメッキに必要なメッキ槽を設計、製造するなどして、同年六月ころにはこれを完成させた。

(三)  被告人Qは、平成六年五月ころ、自動小銃の金属部品を量産するため、その製作専用工場になった第一一サティアン内に、責任者として、合計二三台のMCを順次、搬入して設置した。

(四)  被告人Qは、平成六年六月初旬ころ、乙川により銃弾製作の責任者に指名され、製作工程をチャート化したり、薬きょう、弾頭、雷管等の各部品の設計製作を部下に指示したりして、銃弾製作に従事した後、平成七年一月、被告人Sにこれを引き継いだ。

(五)  被告人Qは、これらの作業に従事している間、窒化炉や誘導加熱炉等の製造のため、実際に作業する部下の選定、文献による研究、材質の検討、窒化処理の試行など、問題点が生じると解決に努力したりして、作業完遂のために自分なりの創意工夫を凝らしていた。

(六)  自動小銃製造の中心的メンバーであった被告人S及びVも、両名に被告人Qを含めた三人が、平成六年二月二八日以降、オウム教団による自動小銃製造の中心的メンバーとして、それぞれ役割を分担した上、基本的な研究、設計、工作機械の製造・設置、さらに科学技術省の出家信者等に対する具体的指示、監督という任務を負っていた旨述べ、被告人Q自身も、このことを自認しており、結局、この三名とも、自らが中心となって、自動小銃製造に向けて協力体制にあったとの認識を有していた。

2  以上の事実を前提に考えてみると、まず、被告人Qは、ホテル「丙」において、乙川の指示を承諾するという形で、乙川、被告人S及びVらと自動小銃大量製造の謀議を遂げたというべきである。次いで、この謀議に基づき、被告人Qは、前記の作業に従事したものであるが、同被告人が製造を計画した、誘導加熱炉(自動小銃部品の素材となる鋼材を溶解するためのもの)、窒化炉(薬室等の金属表面を窒化処理してその硬度を増すためのもの)及びクロムメッキ槽(銃身の内側にクロムメッキを施して耐摩耗性を増すためのもの)は、いずれもその用途に照らし、自動小銃製造に必要かつ重要な装置であり、さらに、コンピューター制御による複雑な形状の金属加工に用いる旋盤であるMC二三台の搬入、設置は、大量製造のために必要不可欠な準備作業であるといえる。このように、被告人Qは、自動小銃製造事件において必要かつ重要な作業を担当していたものであって、自身もその作業の位置付けを十分理解し、作業完遂のため、自分なりの創意工夫を凝らしていた。さらに、被告人Qを含め、作業を実際に担当していた被告人S及びVも、乙川やDの指示に従いつつ、互いに、一致協力して作業に従事しているとの意識の下にあった。

3  そうすると、被告人Qは、乙川の指示に端を発した謀議に基づき、他の共犯者らと役割分担をしつつ、自動小銃大量製造に向けての必要かつ重要な作業の一翼を担い、自ら創意工夫を凝らして完遂に向けて努力したのであって、弁護人主張のように、自動小銃製造工程のごく一部について準備的行為、予備的行為又は補助的行為を行ったにとどまったとは到底いえないから、同被告人は、乙川ら共犯者と一体となって、自己の犯罪として、これを遂行したと評価でき、共謀共同正犯として責任を問われることに疑いを差し挟む余地はない。なお、同被告人の弁護人は、地下鉄サリン事件と同様、同被告人は、乙川の指示に基づくワーク又は修行として、自動小銃製造に関わっただけであるから、共謀は成立しないというが、既に認定した被告人Qの犯行関与状況や共同実行の意思の形成過程に照らすと、この主張は採用できない。

第四 落田事件

一  共謀共同正犯の成否

1  弁護人の主張

被告人Rの弁護人は、乙川と同被告人らとの間には、共謀が成立しておらず、仮に被告人Rが関与していたとしても、幇助犯にすぎないと主張する。その論拠は、多岐にわたるが、主眼点は、①そもそも、乙川が、i及び落田殺害につき、その場にいた者に意見聴取をした際、被告人Rは、賛意を表明していない、②仮に、両名殺害の共謀が成立したとしても、その後、乙川において、iに落田を殺害させることを決定した際には、意見聴取がなされていないことなどからすれば、iによる落田殺害は、右の共謀内容には含まれておらず、しかも乙川によるiを道具とした別個独立の犯行である、③被告人Rは、乙川の身辺警護をしたり、落田の様子を乙川に報告したにすぎないから、幇助犯に止まるということにある。これらの論拠は、密接不可分に結び付いているので、一括して判断することにする。

2  共謀共同正犯の認定

まず、共謀共同正犯の成否を考えるに当たり、重要な前提事実である「乙川が、i及び落田殺害につき、その場にいた者に意見聴取をした際、被告人Rは、賛意を表明したか否か」について、説明しておくこととする。被告人R自身、検察官に対する供述調書において、「仕方ないですね。」又は「そう思います。」という表現で、落田らを殺害することに賛意を表明した旨供述しているところ、同調書の内容は、オウム教団各幹部が、乙川の意見聴取に対し、賛意を表明した際に「ポアしかないですよ。」「自分でまいた種ですからね。」などと特徴的な発言をした点を含めて、他の共犯者の供述調書とよく符合しており、全体的にも不自然不合理なところはない。また、被告人Rは、公判廷でも、明確な記憶はないが、発言をしたという記憶の方が若干強いし、少なくとも反対の意思は表明していない旨述べている。そうすると、被告人Rが前記の賛意を表明したことは明らかである。

また、既に犯行に至る経緯において認定した事実中、被告人Rに関する部分を摘記すると以下のとおりになる。すなわち、①被告人Rは、乙川を乗せて第二サティアンに向かう車中で、乙川の「今から処刑を行う。」との発言を聞き、乙川がi及び落田の殺害を決意していると理解し、乙川の指示があれば、自分自身で手を下さなければならないと腹をくくり、さらに、第二サティアン到着後、乙川からついて来るように指示され、その思いを強めた、②瞑想室において、乙川が、「これからポアを行うがどうだ。」と問い掛けたのに対し、その場にいた教団幹部らが賛意を表明した、③その後、乙川は、iが落田とi'の特別な関係を知らないとすると、カルマからして、iが落田をポアすべきであるとの考えを示した上、i一人を瞑想室に連れ込み、被告人Rら教団幹部の面前で、iに、自らの解放を条件として落田を殺害するようにしきりに迫り、ついにiの承諾を得た、④このような乙川の言動から、被告人Rらは、乙川の意図がiに落田を殺害させることにあると知り、落田を瞑想室に連行し、その際、Gが青色ビニールシートや絞殺用のロープを用意した、⑤被告人Rは、落田殺害が漏洩するのを恐れて、信者数名を第二サティアンから退出させ、さらに、瞑想室の内鍵を掛けて、外部と遮断した上、乙川の左斜め前に立ち、落田が乙川に襲い掛かってきた場合に備えて身構えていた、⑥iが落田の頸部を絞め付けている間、D、G、U、H、V2、V3らが苦悶して必死に暴れる落田の身体を押さえ付け、また、Gがiに絞め付け方を命令するなどしていたが、被告人Rは、その様子を見て、状況次第では、自らも落田の身体を取り押さえなければならないと考え、落田の近くまで近寄った、⑦被告人Rは、その後も、乙川の警護をしつつ、視力に障害のある乙川に対し犯行状況を報告した、⑧被告人Rは、犯行後、乙川から意見を求められ、落田殺害が許容される行為である旨答えようとしたことなどである。

以上の事実関係からすれば、被告人Rは、i及び落田殺害に賛意を表明した上、乙川の意図がiに落田を殺害させることに変わった以降も、自主的な判断で、落田の犯行現場への連行、人払いや施錠などの準備行為、乙川の警護、犯行状況の報告を行うなどしており、被告人Rにおいて、iによる落田殺害を認容していたことは明白である。また、その行った行為をみても、いずれも本件犯行に必要又は少なくとも寄与するものである。そうすると、被告人Rは、iが落田殺害を承諾した時点で、最終的に、乙川、i、教団幹部らとの間において、共同実行の意思を形成し、自己の犯罪として遂行することを決意したといえ、共謀共同正犯としての罪責を負うというべきである。なお、弁護人は、iによる落田殺害は、道具としてのiを利用した乙川の単独正犯であると主張し、共謀共同正犯の成立を否定する理由の一つとしているが、iは自分が助かるのであれば、落田を殺害することもやむを得ないと自ら判断して殺害行為に及んだものであって、間接正犯の道具とはいえないし、また、殺害の実行行為の間、他の教団幹部らも、落田の身体を押さえ付けるなど実行行為と評価できる行為に及んでいることからすると、乙川の単独正犯であるとも到底いえず、前記共謀共同正犯の認定は揺るがない。

二  期待可能性の有無

被告人Rの弁護人は、同被告人について、自分が犯行に関与しないと、尊師である乙川らに目を付けられることを恐れて、やむなく参加したものであるから、適法行為の期待可能性がない旨主張するが、被告人Rは、殺害現場において、自己の生命の危険を現実に感じたり、物理的に犯行関与を迫られたわけでもなく、却って、自主的な判断によって、人払いをしたり、乙川の警護をしたり、犯行の状況を報告するなど積極的な役割を果たしていたものであって、弁護人の主張は採用できない。

第五 冨田事件

一  弁護人の主張

被告人Rの弁護人は、(一)乙川との共謀の証拠はない、(二)被告人は、自らの死を選ぶか、冨田を殺害するかの二者択一を迫られていたのであり、ロープで絞殺したという行為は、緊急避難として違法性が阻却されるか、過剰避難として責任が阻却されるか、あるいは、誤想避難として故意が阻却される、(三)被告人には、適法行為の期待可能性がなく、超法規的に責任が阻却されると主張する。

二  乙川との共謀の有無

なるほど、弁護人が主張するように、Gは、乙川からの具体的な指示内容について供述しておらず、乙川の指示を仰ぐと言って、一旦外へ出たことは認められるものの、真実乙川の指示を受けたか否かについて、直接の証拠はない。しかし、G自身、冨田殺害は、乙川の指示であったと認めている上、Gが「ポア」という言葉を用いて、被告人Rに、冨田殺害を指示していること、教団では、教祖である乙川以外はポアすることはできないとされていたことに照らすと、冨田殺害について乙川の指示がなかったとは到底考えられず、冨田に毒を入れたことを自白させ、背後関係も明らかにするよう命じられた時点、若しくは、乙川の指示を仰ぐと言って、一旦外へ出た時点のいずれかの時点で、乙川から、Gに対して、冨田殺害の指示があったというべきである。そして、被告人R、B1及びMが、Gから冨田をポアする旨聞いた時点で、乙川との間でも共謀が成立したといえる。

三  危難の存否

1  弁護人は、被告人Rは、平成五年に下向し、連れ戻された際、乙川から「おまえは教団の秘密をあまりにも知りすぎた。」「一緒に死んでほしかったんだが。」と告げられるなど、乙川から帰依を疑われており、冨田殺害を断れば、直ちにGから乙川に報告がなされ、乙川の指示で、G、B1及びMによって、被告人Rの殺害が行われることも十分に想定でき、被告人Rの生命、身体に対する危難は間近に押し迫っていたと主張する。

しかしながら、既に認定した事実によると、被告人Rは、Gとともに、冨田に一方的に拷問を加えるという加害者の立場にあり、B1とMも、被告人RやGが拷問を加える傍らで、甘言を弄するなどして、冨田の自白獲得に向けて協力していたこと、被告人Rは、Gから、乙川の意思で冨田を殺害するように指示されたものの、暴行・脅迫等によって殺害を強要されたわけではなく、乙川自身も犯行現場にいなかったことが認められ、これらによると、被告人Rが、冨田の殺害を断った場合に、それまで一致協力していたG、B1及びMの手で、直ちに、被告人Rの生命・身体等に危害が加えられるおそれは、未だ存在していなかったというべきである。

したがって、被告人Rには、その生命・身体等に対する「現在の危難」は存在せず、緊急避難、過剰避難は成立しない。

2  また、弁護人は、被告人Rが、下向し、連れ戻された際の経緯に照らすと、乙川の意思である冨田殺害を断れば、自分が殺害されると誤信することは無理からぬことであると主張する。

確かに、被告人Rは、Gを通じて乙川から冨田殺害の指示を受けたときの気持ちについて、拒否すれば、自分自身がポアの対象とされてしまいかねないなどと供述しており、冨田殺害を断ることで自分の生命に危難が及ぶ可能性があることを恐れていたことは否定できない。

しかしながら、誤想避難といえるためには、「現在」の危難を誤想していることを要するところ、被告人Rは、生命に危難が及ぶ具体的な状況については何も述べておらず、むしろ、グルの指示に逆らうことは、死後無間地獄に堕ちることとなる旨述べていることなどに照らすと、そこには、自らの死を選ぶか、冨田を殺害するかという二者択一を迫られるほどの切迫性はうかがわれず、その場で直ちに自己の生命に危難が及ぶ「現在」の危難を誤想したとはいえないというべきである。したがって、被告人Rには、誤想防衛も成立しない。

四  期待可能性の有無

被告人Rの弁護人は、本件当時の客観的状況及び被告人の心理状況に照らせば、乙川の命令に反抗して冨田の殺害を拒否することを同被告人に期待することは不可能であり、適法行為の期待可能性がなく、超法規的に責任が阻却されると主張する。

しかしながら、前記のとおり、被告人Rについては、その生命・身体等に対する危険性は間近に切迫しているような事情はなく、そのように誤想していたという事情もない。また、同被告人は、犯行当時、乙川に対する不信感から、ポアという名の下に殺害行為を正当化することに大きな抵抗を感じ、Gからロープを渡されても、すぐに殺害を行う決断がつかなかったというのであるから、乙川に帰依し、その指示や命令を絶対視しているような心理状況にはなかったというべきである。そうすると、適法行為の期待可能性がなかった旨の弁護人の主張は理由がない。

第六 新宿青酸ガス事件

一  弁護人の主張

被告人Qの弁護人は、本件青酸ガス発生装置の仕組み、設置場所等を検討すると、そもそも客観的に大量殺人が可能であったとは考えられず、また、被告人Qは、青酸ガスの殺傷能力についても漠然とした認識しか有していなかったから、積極的に多数の者の殺害を意図したことはなく、被告人の殺意は未必的なものにすぎない旨主張する。

そこで、当裁判所が、被告人Qに確定的殺意があったと認定した理由を説明する。

二  青酸ガス発生装置の具体的な危険性

1  認定要素

(一)  青酸ガス発生装置の仕組み

青酸ガスは、化学名をシアン化水素といい、人体に摂取されると、赤血球中のヘモグロビンと酸素の結合を仲介するチオクロムオキシダーゼという酵素と結合し、それによって右酵素の働きを阻害して酸素呼吸を妨げ、人を窒息死させるという性質を持ち、その全数致死量は一人あたり約0.06グラムである。また、その作用は迅速であって、空気中に一立方メートル当たり0.3グラムの青酸ガスがあれば、人が直ちに死亡すると文献上報告されている。比重は0.6876で空気より軽い。

本件青酸ガス発生装置の仕組みは、口の開いた半透明のビニール袋に入ったシアン化ナトリウム顆粒の上に、時限式発火装置と透明ビニール袋に入った硫酸を置き、発火装置が作動することによって透明ビニール袋が破れ、硫酸とシアン化ナトリウムが化学反応をしてシアン化水素=青酸ガスが発生するというものであり、このことは、化学理論及び捜査段階の実験結果によっても裏付けられている。本件では、実際には、意図したとおりに青酸ガスが発生していないが、それは、本件装置がゴミ容器内に仕掛けられた後、犯人以外の何者かによって、シアン化ナトリウム及び硫酸の入ったビニール袋がそれぞれゴミ容器から取り出されて、ゴミ容器の脇に置かれ、その後、これらを発見した清掃作業員によって、シアン化ナトリウム入りのビニール袋と硫酸入りのビニール袋が分離されたまま、便所出入り口付近の床に並べて置かれるなど、第三者の行為が介在したためであり、発火装置自体は正常に作動していることなども考えると、これらの偶然が重ならなければ、青酸ガスが発生することは確実であったといえる。

また、本件で使用された工業用のシアン化ナトリウム一四九七グラム及び濃度約六二パーセントの希硫酸約一四一〇ミリリットルを用いると、理論値としては、約七〇六グラムの青酸ガスが発生することとなり、これは実に一万一七六六人分の全数致死量に該当する。実際には、シアン化ナトリウムに硫酸を滴下する過程で、表面に不活性な硫酸ナトリウムの層ができ、以後の反応を阻害するので、理論値どおりに青酸ガスが発生することはないが、それでも捜査段階における各種実験によれば、反応率が悪い場合を前提としても約三三三グラムの青酸ガスが発生することが十分に見込まれる。

(二)  青酸ガス発生装置を仕掛けた場所

青酸ガス発生装置が仕掛けられたのは、容積が54.8964立方メートルの新宿駅の地下街のトイレの個室である。本件トイレ内には、五か所の吸気口があり、空気が地下鉄線路内にある排気口へと排出される仕組みになっており、また、出入口の自然換気によって、地下道の方にも一部が排出されるが、換気力はそれ程強くなく、一般的に言えば、閉鎖された空間であるといえる。

また、平成七年五月一三日(土曜日)及び翌一四日(日曜日)の本件トイレの午後四時から午後八時までの平均利用者数は一〇〇〇名を超えており、さらに、発火装置の作動した時間に近い午後七時から八時の男子トイレの利用者は、それぞれ二一〇名、一六九名となっている。本件犯行の当日が五月五日の祝日であることを考えると、これと同程度の利用者があったことが推認できる。

(三)  以上によれば、猛毒の気体である青酸ガスが、本件発生装置によって確実に発生し得たこと、装置を仕掛けた場所が一般的に言えば閉鎖的な空間で、かつ、多数の利用客がいる場所であったことなどの事情が認められ、本件発生装置を本件トイレに仕掛けた時点で、不特定多数の者について殺傷の具体的な危険が発生したというべきである。

2  これに対して、弁護人は、青酸ガス発生装置により、現実に発生する青酸ガスの量、全部ガス化するのに要する時間は明確でない上、発生した青酸ガスは、空気よりも比重が軽く、周囲に存在する空気と混合し、また空調設備等によって拡散し、薄まることになるので、装置の周辺においてすらも致死量の濃度になる可能性は極めて低く、大量殺人は不可能であったと主張する。

確かに、弁護人が主張するように、本件装置の仕組みを考えると、青酸ガスは一気に発生するわけではなく、その間に発生済みの青酸ガスがどのように拡散し、空気中にどのような濃度で存在するのかについては、証拠上明らかではない面もある。しかしながら、捜査段階における一〇〇分の一スケールの実験では、反応率が低い一気に滴下した場合を想定しても、四分間で3.33グラムの青酸ガスが発生していることに加え、安藤証人は、「スケールを一〇〇倍にしたら一〇〇倍の時間ということはないと思います。具体的には実験すれば一番いいんですが、想像では概ね大差ないと思います。」と述べている。弁護人は、証人安藤証人が「想像」であるとしている点を攻撃するが、安藤証言は、全くの憶測を述べているわけではなく、実験をしていないから絶対ではないという趣旨と読むべきであり、結局、本件青酸ガス発生装置でも、四分間で三〇〇グラム程度の青酸ガスが発生する可能性は十分あったといえる。

そうすると、青酸ガス発生に時間を要すること、発生した青酸ガスが拡散していくことを考慮に入れたとしても、本件トイレやその周囲において、空気中の青酸ガスの濃度が致死量に達し、不特定多数の者が死亡する具体的な危険性が発生していたというべきである。

また、弁護人は、青酸ガスの毒性がサリンの五〇〇分の一であることも、大量殺人が不可能であったことの根拠として挙げている。しかしながら、証人安藤は、青酸ガスの毒性がサリンの五〇〇分の一であること自体は認めた上で、青酸ガスの毒性が弱いのではなくて、サリンの毒性が強すぎるということであり、青酸ガスは、人類が経験した化学物質の中では猛毒であることには変わりない旨述べており、青酸ガスの毒性自体が強力なものであることは、その他の客観的資料からも全く揺るがない。

三  被告人の確定的殺意の有無

1  被告人Qは、捜査かく乱の手段として、時限式の青酸ガス発生装置を新宿の地下街のトイレに仕掛けることを認識した上で、Hの青酸ガス発生装置の作成を補助したものである。そして、その間、平成七年四月二九日の謀議の際には、便所の個室の中で用を足している人がいたら、すぐには逃げることができず、死んでしまう危険もある旨のHの発言を聞き、五月三日の夜に、Hが誤って青酸ガスを発生させてしまった際には、その場にいた全員で、約三〇分間隣室に避難し、窓を開け放すなどしている。

さらに、被告人は検察官に対する供述調書(乙C四号証)において、「東京都心の新宿という多数の人が集まる場所を狙って青酸ガスを発生させれば、青酸ガスの作用によって、多数の被害者が出ることになり、間違いなくパニックを引き起こすことができるだろうという判断に基づいたものでした。そして、新宿の中でも、地下鉄の駅を選んだのは、青酸ガスは、空気よりも軽い性質を持っているため、拡散しやすく、密閉性のある空間の方が、被害が拡大しやすいという判断に基づいておりました。」などと述べ、公判廷では、青酸ガスの毒性について具体的な数字としては知らなかったが、当然、殺傷性があり、いわゆる猛毒という認識があった旨述べている。

2  これに対して、弁護人は、被告人Qは、青酸ガスの殺傷能力については漠然とした認識しかなかったにもかかわらず、捜査官から、青酸ガスが猛毒であるとの誤った認識を前提として追及されたので、自責の念から殺傷の結果が生じうることを認めてしまったなどと主張する。しかし、前述したように、青酸が猛毒ではないとする弁護人の主張自体が誤りであって、青酸ガスは猛毒であるというべきであり、また、そのように考えることは、一般人が持ちうる自然な感覚というべきである。

そうすると、被告人Qが、公判廷で、青酸ガスについて、いわゆる猛毒という認識があったことを認めていることは、被告人Qの当時の認識としても自然であって、十分に信用することができる。

3  以上によると、被告人Qは、青酸ガスが猛毒であることや空気よりも軽く拡散性のあることを知った上で、多数の人々が集まる新宿の中でも、密閉性の高い地下街のトイレに本件青酸ガス発生装置を仕掛けることに賛成し、本件犯行に加わったのであるから、トイレを利用する不特定かつ多数の者が確実に死ぬであろうという確定的殺意を有していたというべきである。

なお、被告人Qは、当公判廷で、騒ぎを起こせという乙川の指示に沿った行為をするというのが大前提にあるから、青酸ガス発生装置を新宿の地下街のトイレに仕掛けた場合に、その後どうなるかという結果までは考えられなかった面がある旨供述する。しかしながら、被告人Qは、未遂の結果を知ってホッとした気持ちもあったと供述していて、本件の結果に関心を寄せていたことが認められるのであり、その認識していた前記の客観的事情を前提とすると、トイレ内の不特定多数の人間が死ぬとの認識を持っていなかったとは到底いえない。

四  自首の成否

1  弁護人の主張、

被告人Qの弁護人は、同被告人が、新宿青酸ガス事件の犯人が誰であるか捜査機関に全く発覚していない時点である平成七年六月一日ころ、深い悔悟の念からその犯罪事実を自ら進んで申告し、その結果、事件の解明に貢献したものであるから、自首減軽すべきである旨主張し、都庁爆弾事件においても、同日自首をしたというので、両事件に関する自首の成否をここで一括して検討する。

2  阿部勝義の証言(第六九回公判)、被告人Qの公判供述、被告人Q作成の上申書謄本三通(乙A三九ないしA四一号証)等によると、被告人Qが、新宿青酸ガス事件及び都庁爆弾事件(以下「自首の成否」の項では、単に「両事件」という。)について、自供するに至った経緯として、次のような事実が認められる。

(一)  被告人Qは、平成七年五月一五日、Uらと車に乗って移動中、警察官に職務質問を受けた際、その職務を妨害したため、公務執行妨害罪により現行犯逮捕(その後不起訴)されたが、被告人Qらが乗車していた車のトランク内には、八王子アジトで製造した爆薬である円筒形タッパー在中のペンスリットやダイオキシンの原料であるトリクロロフェノール等が積載されていた。

(二)  被告人Qは、翌一六日地下鉄サリン事件によって通常逮捕され、警視庁刑事部捜査一課所属の阿部勝義警部(以下「阿部警部」という。)らの取調べを受けることとなった。ところで、阿部警部は、假谷さん拉致事件等もオウム教団の関係者が惹起したものと考えていたが、両事件についても、被告人Qが関与しているのではないかとの疑いを持っていた。それは、同被告人が物理学の専門家で理系の知識が豊富な人間であること、地下鉄サリン事件後逃亡しており、現行犯逮捕時にUと行動をともにしていたことなどのほか、新宿青酸ガス事件については、地下街で一般大衆を狙った点や青酸を入れたビニール袋が地下鉄サリン事件のそれと類似していること、都庁爆弾事件については、被告人Qらが公務執行妨害で逮捕された際に爆弾の原材料となり得る薬品が押収されていたことなどの理由からであった。

(三)  被告人Qは、平成七年五月一六日に行われた弁解録取の際から氏名は明らかにしていたが、地下鉄サリン事件の事実関係については、完全黙秘を続けた。翌一七日ころ、前記のように、オウム関連事件に関与した疑いも抱いていた阿部警部は、被告人Qの緊張を解こうとの考えもあって、假谷さん拉致事件について問い質すと、同被告人は、首を振って関与を否定するような仕草をした。また、阿部警部が、同月十八、九日ころ、都庁で小包が爆発して、都知事の秘書が大怪我をした旨、都庁爆弾事件について、探りを入れると、被告人Qは、表面的にほとんど反応を示さなかった。ところが、同月二〇日ころに至り、身上関係を供述したものの、家族関係と入信経緯については黙秘を続け、同月二一日ころから、ようやく事実関係についても、順次供述し始めた。しかし、相変わらず、家族関係等については、後に話す旨答えていた。さらに、阿部警部が、同月二三日ころ、被告人Qがオーストラリアに渡航したことやOが假谷さん拉致事件の関係者を石川県内で匿っていたことを把握していたことから、オーストラリアや石川県七尾方面に行ったことがあるかと質問すると、被告人Qは、「ウランを探しにオーストラリアに渡航したことがあるが、発見できなかった。七尾には行っていない。」旨答えた。

(四)  被告人Qが、平成七年五月三〇日ころ、最後まで秘していた「サリン撒布後に乙川の元へ結果報告に赴き、マントラを唱えたこと」まで自供したことから、阿部警部が、入信の経緯、家族関係のほか、この時点で、被告人Qの関与した疑いのある事件として残っていた両事件と自動小銃製造事件を念頭に置いて、「もう全部話したらどうだ。」と投げ掛けたところ、同被告人は何やら考えている様子であった。同年六月一日の午前中、被告人Qは、入信の経緯や家族関係についても、供述を始めたため、阿部警部は、これらを調書化した上、「ほかに関与している事件があれば話をしなさいよ。」と促したのに対し、被告人Qは、「分かりました。」などと返答した。その後、被告人Qが、取調室の隣で仕事をしていた阿部警部を呼び、「実は、私は都庁の爆弾事件と青酸ガス事件に関与しています。」と告げたため、阿部警部は、同被告人に対し、六月一日付けの上申書三通(乙A三九ないしA四一号証)を作成させた。これらの上申書の中で、被告人Qは、両事件について、関与を認める供述をしている。

(五)  ところで、被告人Qは、逮捕以降、警察官や検察官から、地下鉄サリン事件の悲惨な被害者や遺族の話を長時間にわたって聞き、乙川や教義に対する帰依の念と真実を語るべきであるとの気持ちとの間で葛藤していたところ、平成七年五月二〇日に、阿部警部から、同人が設定した母親と妹との接見が翌二一日あることを聞いたことが最後の一押しとなって、地下鉄サリン事件の事実関係についても自供を始めたのである。

3  右に認定した事実を前提に、被告人Qの自首の成否について検討する。刑法四二条一項にいう自首が成立するためには、「犯人が、捜査機関に犯罪事実及び犯人が何人であるか発覚する前に、自ら進んで犯罪事実を申告すること」を要するところ、関係各証拠によると、被告人Qが両事件につき自供した平成七年六月一日の時点で、捜査機関側に両事件自体が発覚していたことは明らかであるから、問題は、その時点で、捜査機関側に被告人Qが犯人と判明していたか否か、自ら進んで犯罪事実を申告しているか否かである。

まず、前者、すなわち、被告人Qの犯人性についてであるが、確かに、阿部警部が、前記2(二)に記載した事情に基づき、被告人Qが犯人ではないかと疑っていたことは事実であるが、疑いの理由として挙げる事情は、大部分推測の域を出ないものであり、未だ合理的な根拠によって被告人Qが犯人であると判断していたとはいえないと評価すべきであり、本件全証拠によっても、他の捜査官がその合理的な根拠を有していたとの証拠はないから、結局、未だ被告人Qが犯人であるとは判明していなかったといわざるを得ず、同被告人の自供は、この点においては、自首の要件を満たすというべきである。

次に、後者、すなわち、自発的申告についてであるが、前記認定の経緯によると、阿部警部は、地下鉄サリン事件の取調べ中に、同事件はもちろんのこと、他の余罪についても、自供を得ようと考え、被害者や遺族の惨状を話し、あるいは家族との接見を設定するなどして説得を続け、余罪についても、直裁的にあるいは仄めかすという手法を用いて、関与の有無を確かめるという取調べ方法を採った結果、被告人Qは、次第に、真実を語るべきとの心情を乙川らへの帰依心に凌駕させ、地下鉄サリン事件の事実関係を供述するに至り、さらに、阿部警部から、「もう全部話したらどうだ。」とか「ほかに関与している事件があれば話をしなさいよ。」などと促されたことが直接の契機となって、両事件についても自供したものというべきである。この経過をみると、被告人Qは、阿部警部の説得や勧めによって、自供したものというべきであって、自ら進んで犯罪事実を申告したとは評価できす、結局、自発的申告の要件を欠くというほかない。現に、被告人Q自身、当公判廷で、両事件を自供した際の心情につき、地下鉄サリン事件に関する自供と同様、葛藤があった状況下において、阿部警部の勧めがあったから自供した旨自認している(第六八回公判)。

以上のとおり、両事件について、被告人Qが自首をした旨の弁護人の主張は採用できない。

第七 都庁爆弾事件

一  確定的殺意の有無

1  弁護人の主張

被告人Qの弁護人は、同被告人が本件爆弾の爆発力について明確な認識を持っておらず、用いられた爆薬の量も知らなかったのであり、確定的殺意を認めるかのような被告人Qの供述も、被害者が重傷を負ったことを知って自責の念から出たものに過ぎず、被告人Qの現実の認識とは異なるなどと主張し、青島都知事らに対する確定的殺意を否定するので、この点について判断する。

2  確定的殺意の認定

(一)  本件爆弾は、外形が書籍であり、書籍の表紙を開披することにより、内蔵された爆薬RDXが爆発する仕掛けとなっていたものである。そして、この爆弾が、東京都知事公館の青島都知事宛ての郵便物として、切手を貼られた上で郵便ポストに投函された場合には、最終的に、青島都知事やその家族、都庁の職員の手に渡り、その表紙を開披した者の至近距離で爆発することが当然予想できる。

RDXは、正式名称をトリメチレントリニトロアミン(別名ヘキソーゲン)と言い、高性能爆薬であって、一般に軍用に使われる。爆風圧が、約五重量キログラム毎平方センチメートルであれば人は即死するとされているところ(甲A一一九六〇号証)、捜査段階での実験によると、30.3グラムのRDXを使用した場合、六五センチ離れた場所で爆風圧は5.3重量キログラム毎平方センチメートルとなり、また、三号桐ダイナマイトと比較してもその威力は大きい。(実際、自席の机上で本件爆弾を開披しようとした都庁職員は、本件爆弾の爆発によって、左手拇指の爪の半分以上が欠損し、その他の四本の指も手掌部の中央付近から先が骨ごと全て欠損する等の重傷を負い、血痕あるいは肉片様のものが爆発の中心部分から約9.9メートル離れた天井にも付着するなどした。)

(二)  被告人Qは、本件爆弾に装填するRDXを製造したものであり、爆弾の組立て作業には関与しなかったので用いられた爆薬の量については知らなかったものの、本件爆弾が書籍の表紙を開披することによって爆発するという仕組みで、青島都知事宛てに郵送されることを認識しており、RDXの威力についても、Hから普通の爆薬よりも威力が強い旨聞いていた。また、被告人Qは、当公判廷において、RDXが軍用爆薬であることが本に書いてあったかもしれないと述べているところ、被告人Q、HらがRDX製造の際に参考にした書籍「ホームメイド・セムテックス」には、直接「軍用爆薬」との記述はないものの、米陸軍の標準プラスチック爆薬はRDX九一パーセントから成っているなどの記述がある。

これに対して、弁護人は、爆弾製造の中心となったH自身が、本件爆弾の威力について明確な認識を持っておらず、そうである以上、その補助をしていただけにすぎない被告人Qは、例えHから爆弾の威力について話を聞いたとしても、明確な認識を持ち得ない旨主張する。しかしながら、Hは、RDXが軍用爆薬であると伝えたことを認めており(甲C二二四号証)、Uも、HからRDXが黒色火薬よりは威力があると聞いた旨述べていること(甲A一二〇五六号証、甲C二三四号証)に照らすと、Hは、爆発実験はせずとも、その威力について書籍等を通じて、相当程度認識していたというべきである。そして、被告人Qは、Hの話を聞いただけではなく、Hとともに書籍を読みつつ、軍用爆薬との認識を持ってRDXを製造したのであるから、RDXが普通の爆薬よりも威力が強いとの認識を持っていたというべきである。

(三)  このように、被告人Qは、爆弾に用いられた爆薬の量は知らなかったのであるが、捜査かく乱の一手段として爆弾を送付するという前提で、本件爆弾の仕組みや送付先のほか、威力の強い爆薬を用いることを認識していたのであり、そうである以上、右爆弾が、その表紙を開披した青島都知事らの至近距離で爆発し、人の死亡の結果が生ずることを確定的に認識していたというべきである。

(四)  ところで、弁護人は、「爆弾である以上、爆発すれば人が怪我したり、場合によっては人が死んでしまうことがあることは分かっておりました。ですから、私達が計画して実行したこの爆弾で、青島都知事、青島都知事の家族、使用人、もしくは都庁の職員がこの爆弾によって怪我をしたり、死亡する可能性があることも分かっておりました。」という被告人Qの供述について、被害者が重傷を負ったことを知って自責の念から出た単なる論理的な推論に過ぎない旨主張するが、被告人Q自身の爆薬の量や爆弾の威力についての認識を前提とすると、確定的殺意があったと考えるのが当然であって、右供述は、被告人Qの現実の認識を自白したものというべきである。

なお、弁護人は、Hが爆発力を増すための金属片を入れることをやめていることをもって、高度の殺傷能力を持つ爆弾の製造を意図していたわけではないとも主張するが、被告人Qは、当公判廷において、「ちょっと、自分の記憶でははっきりしません。自分がいない場面での会話かもしれません。」と述べるにとどまるのであり、確定的殺意を否定する要素とはなり得ない。

二  人の身体を害する目的の有無

弁護人は、被告人Qにおいて、青島都知事らを殺害する目的を有していなかったから、爆発物取締罰則にいう「人の身体を害する目的」を欠くという。しかしながら、被告人Qらが、捜査をかく乱して乙川の逮捕を防ぐための一手段として、確定的殺意をもって青島都知事らを殺害する意図を持っていたことは、前記のとおりであり、人の身体を害する目的は優に認められる。

第八  責任能力

一 弁護人の主張

1 被告人Q

被告人Qの弁護人は、同被告人に関し、本件各犯行当時、本来の自我が解体され、グルのクローンともいうべき別の人格が形成される人格の変容、自我障害等心因性の精神障害により事物の是非善悪を弁別する能力又はその弁別に従って行動する能力が著しく減退した状態、すなわち心神耗弱状態にあったと主張し、その根拠となる諸症状、諸現象として、①いずれの事件についても、通常人が納得できるような犯行目的及び動機を有していなかった、②オウム教団において、極限修行、ワークと呼ばれる作業を中心とした睡眠時間を極度に切り詰めた出家生活を続け、神秘体験、幻視幻覚体験なども経験し、被暗示性が極めて強くなっており、通常なら信じるはずのないことまで抵抗なく信じる状態になっていた、③自我障害を伴う解離性障害があり、知覚変容を伴う過換気症候群に陥っていた、④乙川から常に行動及び心理の全てを監視されているとの感覚を有していた(筒抜け体験といわれる精神分裂病に見られる注察妄想の症状と同様の現象である。)ことなどを挙げ、これらは、帰するところ、乙川によるマインドコントロールの影響であるとしている。

2 被告人S

被告人Sの弁護人は、同被告人において、本件各犯行当時、米国精神医学界が設定した精神障害の診断基準であるDSM―Ⅳにいう「特定不能の解離性障害」にまで至った結果、事物の是非善悪を弁別する能力又はその弁別に従って行動する能力が著しく減退した状態、すなわち心神耗弱状態にあったと主張し、そのような状態に陥った原因として、①乙川のマインドコントロール(心理操作)によって解離性障害及び感応的精神病類似の感応症状が惹起されたこと、②修行に伴う脳生理学的な身体への影響によって自我意識が著しく障害されたことなどを挙げる。

二 髙橋意見

両被告人の弁護人は、主として、東邦大学医学部助教授髙橋紳吾の証言並びに同証人の「超能力と霊能者」、「宗教病理と犯罪」及び「カルトにみる救済論と精神医学」と題する各論文(以下、まとめて「髙橋意見」という。)に依拠しているから、弁護人の主張を検討する前提として、髙橋意見の骨子をまとめると、以下のとおりである。

1 マインドコントロール(髙橋意見は、心理操作という用語を用いているが、便宜上、マインドコントロールに統一する。)とは、何種類かの心理技法を効果的に積み重ね、相手を集団の都合どおりに操る説得技法である。マインドコントロールの受け手の側には強制感がなく、自発的に修行、学習、訓練等を受けていると錯覚するように仕組まれており、受け手はあたかも自分が選択したかのように入り込んでいくものである。マインドコントロールを受けた者は、「ジョンのジョン」という本来の人格(以下「本来の人格」という。)の上に、「カルトのジョン」というカルトの人格(以下「カルトの人格」という。)が覆い被さることにより、カルトパーソナリティーを形成する(カルト的二重人格)。カルト的二重人格を形成した者は、人類救済を標榜する教祖等から違法行為を命じられた場合、たとえ本来の人格が行為の違法性を認識していたとしても、その人格は行為判断に関与せず、カルトの人格において、躊躇すること自体が罪であると訓練を受けていたり、教祖から常に見透され、監視されているという筒抜け体験(精神分裂病における注察妄想類似のもの)から、教祖の指示は救済に違いないとして、違法行為でも躊躇なく行う。

2 マインドコントロールによる病理現象を精神医学的観点からみると、人工的に教祖の信念を信者に植え付ける手法により、妄想観念や異常行動を転移させるという「感応」面と、強い葛藤にさらされた際に本来の人格から解離して別の人格が表れてくる(自我の同一性障害)という「解離」面から説明することができる。マインドコントロールによる「解離」は、DSM―Ⅳにいう特定不能の解離性障害のうち、「長期間にわたる強力で威圧的な説得を受けていた人に起こる解離状態」(弁四四号証)に、また、世界保健機関の診断基準であるICD―10にいう「解離性障害 特定不能のもの」(弁四五号証)に該当する。

3 被告人Qの精神病理として、感応性精神病や解離、筒抜け体験(自我の限界性の障害)などの自我障害があり、被告人Sは、感応性精神病類似の感応症状及び解離性障害に罹患している。加えて、両被告人は、極限修行等により、脳生理学的な身体的影響を受けたり、知覚変容を伴う過換気症候群の発症を来し、神秘体験を得た結果、被暗示性が高まり、通常なら信じないようなことまで信ずるようになった。その結果、両被告人は、行為能力の点で正常でなく、責任能力に問題がある。

三 検討

1 問題点

以上の各弁護人の主張及び髙橋意見を総合的に考察すると、両被告人について、(一)カルトパーソナリティー(カルト的二重人格)を形成していたこと、(二)精神医学的観点からみると、感応性精神病類似の感応症状や解離性障害に陥っていたこと、(三)極限修行等により、心理的影響あるいは脳生理学的な身体的影響などを受け、被暗示性が高まったこと、(四)犯行目的、動機が了解不可能であったことなどの諸点を指摘して、責任能力を問題視していることに集約されると解せられるので、まず、これらの諸点を取り上げて検討した上、両被告人の責任能力の有無について判断する。

2 カルトパーソナリティーの形成

(一) 違法行為に対する躊躇

髙橋意見は、本来の人格の上に、カルトの人格が覆い被さることにより、カルトパーソナリティーを形成した者は、たとえ本来の人格において行為の違法性を認識していても、表面を覆っているカルトの人格は、判断を停止しており、違法行為の指示を受けても、淡々と躊躇なくこれを行うとする。

しかしながら、被告人Qは、検察官に対する供述調書において、自己の関与した全事件について、「内心ではサリンを撒いて人を殺すとか青酸ガスを発生させるとか、あるいは爆弾を製造するとか、自動小銃を密造するなどということは、やらずにすむならばやりたくありませんでした。」と述べて、一般的に、抵抗感を有していたことを自認し(乙A三二号証)、公判廷においても、サリン撒布をDから指示された際、いろいろな気持ちがわき上がり、非常に混乱していたと述懐している(第四八回公判)。なお、被告人Qは、公判廷において、地下鉄サリン事件を実行する際、葛藤を感じなかったとも述べている(第四八回公判)が、その一方で、実行前は、躊躇や葛藤があったことを率直に認めている供述部分もあって、被告人Qの心境としては、葛藤や躊躇を乗り越えた末、実行行為時には、既に躊躇を感じなくなったというに過ぎない。

また、被告人Sも、捜査段階において、地下鉄サリン事件に関し、人殺しであり、間違っているのではないかと思い、大変な心の葛藤があった旨一般的にその心情を述べた上(乙A二〇号証)、実行直前の状況につき、「目にした女学生を含め、乗客は死亡すると思い、自分のやろうとしていることが人殺しであると改めてひしひしと感じ、何の罪もない人をこんな方法で殺していいのだろうかと思った。」とか、「いよいよサリンを撒く直前には、心臓がどきどきして、本当にこんなことをしていいのだろうかと思った。」旨その躊躇の様子を赤裸々に述べている(乙A二二号証)。

ところで、髙橋は、被告人らの躊躇した旨の供述と自己の意見の食い違いを指摘され、①カルトの人格は躊躇しないはずであるから、被告人らは、カウンセラー等特定の人物に対する過度の依存ないし同一化という症状を呈するマインドコントロール後遺症のため、捜査官らに誘導されてそう供述しているにすぎず、犯行時の心理状態を正確に述べていないとし、②あるいは、マインドコントロールのかかり方の強弱という観点を持ち出して、躊躇している場合は、マインドコントロールへのかかり方が少ない場合であり、本来の人格が少し芽を出して、カルトの人格と本来の人格が併存している状態であると説明を加え、③さらには、判断停止という状態について、それは表層的に停止しているだけで、カルトの人格と本来の人格とは、無意識の中で葛藤しており、その結果、カルトの人格が勝っているのであると分析している。しかしながら、これらの説明は、その相互間において矛盾を来しており、場当たり的であるといわざるを得ない。また、これらの説明を、カルトパーソナリティーについての髙橋意見の根幹部分、すなわち、本来の人格はカルトの人格に覆い包まれてしまって判断に関与せず、一方カルトの人格は判断停止している結果、躊躇なく犯罪を行うのであるとの立論に照らすと、何故、覆い包まれてしまって判断に関与しないはずの本来の人格とそれを覆い包んでいるはずのカルトの人格との間において葛藤が生じるのか、本来の人格が芽を出し、カルトの人格が併存している場合とは如何なる状態なのかの各点について、さらに合理的な説明が必要といわざるを得ない。却って、被告人Qは、①及び③の点に関し、公判廷において、新宿青酸ガス事件が失敗に終わって安堵したという気持ちは、事件当時の気持ちである旨明確に指摘している。そうだとすると、髙橋の右の説明は説得的でなく、与することはできないといわざるを得ない。

以上のとおり、被告人Q及び被告人Sとも、犯行指示の内容に驚愕したり、抵抗感を示したり、躊躇を感じるなどして気持ちを乱していたことが認められ、淡々と躊躇なく指示を行う旨の髙橋意見とはほど遠い心境であったといえる。

(二) 成功と喜び

髙橋意見は、カルトパーソナリティーを形成した者は、教祖の指示どおりに成功した場合には喜び、失敗した場合には修行が足りず、教祖に対して申し訳ないという気持ちになるという。

しかしながら、被告人Qは、地下鉄サリン事件について、渋谷アジトにおいて、テレビで被害状況の映像を見た際、やってしまったかと思ったと述べ(乙A一七号証)、多数の死者が生じたことを知ったときの気持ちについては、ショックを受けたという気持ちがなかったわけではないと説明する(第四八回公判)。また、新宿青酸ガス事件についても、失敗に終わったことを知って、ほっとした気持ちになったとか、都庁爆弾事件についても、被害者に対して申し訳なかった旨供述する。また、被告人Sも、地下鉄サリン事件実行後の心情として、自己にサリン中毒症状が発症した際、ほんの少し吸った自分でさえこうなるのだから、電車の中は大変なことになっていると思ったとか、人が倒れているというニュースに接し、本能的に、人が死ぬことに対して重い気分になったなどと述べている。

そうすると、被告人Qや被告人Sは、髙橋意見とは異なり、指示どおり成功させて、「喜んだ」などという感情を発現させておらず、却って、自己が惹起させた結果に対して憂慮の念を示しているのである。

(三) まとめ

以上まとめると、結局、被告人らについてカルトパーソナリティーが形成されていると指摘する髙橋意見は、違法行為を実行するに際して躊躇を感じないとか、指示どおり成功させると喜ぶなどとするカルトパーソナリティーの最も特徴的な点において、被告人らの実際の心理状態と齟齬している上、その意見自体に、矛盾点や曖昧な点を包含するものであるといわざるを得ない。

3 精神障害の有無

(一) 髙橋意見の指摘する精神障害

髙橋意見は、精神医学的観点からみると、被告人Qには、感応性精神病や解離、筒抜け体験(自我の限界性の障害)などの自我障害が認められ、被告人Sは、感応性精神病類似の感応症状及び解離性障害に罹患していることが認められると述べる。そこで、髙橋意見が指摘する「解離性障害」、「感応性精神病」、「筒抜け体験」に着目して以下検討する。

(二) 解離性障害

髙橋意見は、マインドコントロールによる解離性障害は、前記ICD―10あるいはDSM―Ⅳにいう「特定不能の解離性障害。3長期間にわたる強力で威圧的な説得(例:洗脳、思想改造、または人質になっている間の教化)を受けていた人に起こる解離状態」との既述中の洗脳等による説得の際に起きてくる解離性障害であるとし、この理解は精神科医や社会精神医学者の間では一般的であるとする。しかし、検察官から、ICD―10やDSM―Ⅳの髙橋意見指摘にかかる箇所には、マインドコントロールによる場合も含まれるなどとは記載されていないではないかと指摘されるや、髙橋は、それは、DSM―Ⅳ等の診断基準を作る研究者は、診断基準の専門家で、宗教病理など細かいことを理解していないため、洗脳もマインドコントロールも同じ意味で使っていると思う旨答えるが、前記理解が一般的であるならば、診断基準の作成者がそれを知らないというのは、いかにも不自然である。

加えて、髙橋意見は、被強制感を伴う洗脳による解離と、被強制感を伴わないマインドコントロールによる解離とを同列に位置付けることについて、両者とも葛藤により解離が生じる点で類似の構造を持つ旨説明するが、既に述べたとおり、何故、カルトの人格と、それに覆い包まれていて判断に関与しないはずの本来の人格との間で葛藤が生じるのか、さらに合理的な説明を要するというべきである。

(三) 筒抜け体験

また、髙橋意見は、「筒抜け体験こそが、乙川の指示をそのまま実行したといえるくらいの中核的な役割を果たしている。」(第六四回公判)とか、「犯行時の心理状態において、筒抜け体験が中心的な役割を果たしている。」(第六七回公判)と説き、被告人三名に係る精神病理として、精神分裂病において見られる注察妄想(自分が他人から注目され、観察されているという妄想)類似の筒抜け体験を挙げる。

しかしながら、髙橋意見のいう筒抜け体験に関する説明自体をみても、髙橋は、弁護人の主尋問(第五九回公判)及び検察官の反対尋問(第六四回公判)に対し、一旦は、オウム教団における神秘体験の中核は筒抜け体験であり、髙橋がカウンセリングした末端信者二〇名についても軽度であるがこれが認められたとか、オウムにおけるマインドコントロールでは筒抜け体験が中心的役割を果たしていたとか答えておきながら、一方では、末端信者には筒抜け体験は認められないがマインドコントロールにはかかっている旨検察官に述べたため、その供述の矛盾について追及を受け、「マインドコントロールにかかっている信者が犯罪行為を行うに当たって、筒抜け体験が中核となった。」(第六四回公判)と証言を訂正するに至った。このように、その訂正に納得できる説明を加えておらず、マインドコントロールと筒抜け体験との関係についての説明も曖昧といわざるを得ない。

ところで、被告人Q及び被告人Sが、乙川において、すべての弟子の心を見通す能力があると感じていたことは証拠上確たる事実である。しかしながら、被告人Qも被告人Sも、注察妄想類似の筒抜け体験があったが故に、本件各犯行時において、乙川の犯行指示に反し得なかったなどと述べておらず、却って、既に認定したように、両被告人が違法行為であっても、敢えて実行した動機は、帰するところ、乙川の指示を救済と信じたからなのである。そうすると、注察妄想類似の筒抜け体験が、被告人Q及び被告人Sの犯行を犯した心理状態の中核であるとする点においても、髙橋意見は被告人らの心理状態に即しているのか疑問が残る。

(四)  感応症状

髙橋意見は、乙川の妄想が移っている点において、被告人らの精神病理は、感応性精神病(一人の精神障害者から、その者と親密な結びつきのある他の一人又はそれ以上の人々へ、その妄想観念や異常行動が転移される精神疾患単位)の構造と同様であるとし、乙川の妄想とは、集約すると、ハルマゲドンと毒ガス攻撃などの存在についてであるという。

しかしながら、被告人Q及び被告人Sの本件各事件の動機は、帰するところ、救済と信じたという自らの宗教観に基づくものであり、また、その犯行目的も、オウム教団に対する強制捜査や乙川逮捕の阻止などであって、当時のオウム教団を取り巻く客観情勢からして、現実味も帯びている。そうすると、髙橋意見のいうハルマゲドンや毒ガス攻撃などの存在を妄想したというものとは、明らかに別物である。なお、被告人Qは、自動小銃製造事件の目的について、捜査段階においては、ハルマゲドンに対する備えである旨供述しているが、公判廷では、自動小銃製造事件も含めて全ての事件を救済と位置付けている。

したがって、被告人Q及び被告人Sについて、髙橋意見のいう、乙川からの妄想の転移という感応性精神病類似の状態は認められない。

(五) まとめ

以上検討したように、被告人らについて、「解離性障害」、「感応性精神病」、「筒抜け体験」という精神障害を指摘する髙橋意見には、その説明自体が説得的でなかったり、曖昧であったり、被告人らの述べる心理状態と齟齬するなどの問題点が指摘できる。

4 被暗示性

髙橋意見は、オウム教団における極限修行等の影響として、脳生理学的影響を受け、あるいは知覚変容を伴う過換気症候群に陥り、神秘体験を得て、被暗示性が高まるとしている。

確かに、両被告人とも、乙川の提唱する教義に基づき、極限修行を含む厳しい修行やワークを中心とした出家生活を送り、神秘体験あるいはある種のそれを経験したことなどから、通常人には容易に信じ難い乙川の教義を信じ、救済を希求して本件各事件に関与していることは、両被告人について、被暗示性の高まりを推認させるに十分である。そうすると、その被暗示性の高まりもあって、乙川の指示に抗することが困難であったことは否定し難いところである。

しかしながら、既に摘記した被告人らの心理状態、すなわち、違法行為の指示に接した際に生じた自然な驚愕、抵抗感、尊師の指示を優先するに当たっての葛藤、実行に対する躊躇、実行後の良心の呵責等は、被告人らにおいて、なお、行為の違法性の大小や結果の重大性を判断し、それに応じた抵抗感や躊躇を示しつつも、葛藤を乗り越えて、自己の意思により、乙川の指示に従うことを選択し、実行に及んだことを示すものといえるのであって、乙川の指示に抗することがおよそ不可能であったとは認められない。

なお、髙橋意見は、被告人らについて、厳しい修行等が与える身体的影響として、ある種の脳内物質が分泌され、その記憶が神経回路を形成し、痕跡として意識に深く残った(脳生理学的影響)とか、過換気症候群に陥っていたとか述べるが、被告人らについて、そのような状態にあったことを認める具体的な証拠はない。

5 犯行動機・目的の了解可能性

ところで、被告人Qの弁護人は、同被告人が本件各犯行を起こした動機・目的が了解不能であることが精神障害を疑わせる根拠の一つであると指摘する。

これまでに認定してきたように、本件各犯行の動機や目的は、乙川の提唱する教義を信じ、乙川に帰依していた被告人らの立場、強制捜査及び乙川逮捕の客観的可能性が高まったオウム教団を取り巻く当時の情勢からすれば、通常人をその立場に置いてみても、ある程度了解可能なものであったといえる。なお、弁護人は、乙川の提唱する教義は荒唐無稽であり、それを安易に信じるに至った点で、被告人Qの行動に了解可能性がないというが、同被告人においては、被暗示性が高まっていることはあるものの、既に検討したように、何らかの精神障害があるという状態ではなく、結局は自己の意思により、乙川の指示に従うことを選択し、実行に及んだと認められるのであるから、弁護人指摘の点は、動機、目的の了解可能性を左右するに足りない。

6 小括

以上検討したように、弁護人の主張及び髙橋意見を総合的にまとめた問題点(前記三の1)は、前提とする事実を異にしたり、その理論構成自体に矛盾を内含するなどしており、被告人らの責任能力の判断に当たり、問題視する事情とはなり得ないといわざるを得ない。この結論は、本件において精神鑑定を経ていないなどの弁護人らのその他の指摘を十分に考慮しても変わらない。

四 判断

翻って、前掲関係各証拠により、被告人Q及び被告人Sによる本件各犯行の遂行状況、経緯、動機等を改めてみてみることにする。まず、本件全証拠によっても、先に検討したように、被告人両名が当時精神の障害を有していたという証拠は見当たらない。また、被告人らは、本件各犯行の謀議の段階から犯行の準備、実行行為、罪証隠滅に至るまでの一連の中で、冷静かつ合目的行動をとっている。また、被告人らの犯行動機や目的も被告人らやオウム教団が当時置かれていた立場や状況からすると、いずれもある程度了解可能なものであったといってよい。加えて、被告人両名は、本件各犯行当時、自己の行為が一般社会において、法律上許されない犯罪行為に当たることは十分に理解していたことを自認している。これらの事実に照らすと、被告人Q及び被告人Sは、本件各犯行当時、行為の是非善悪を弁別し、これに従って行動する能力が著しく減退した状態にはなかったものと認めることができ、弁護人らの主張は採用できない。

第九 期待可能性

一  弁護人の主張

被告人Q及び被告人Sの弁護人は、オウム教団の、乙川の指示、命令は救済に繋がるが故に、絶対に従わなければならないとの教義や省庁制という組織上、被告人両名に対しては、本件各犯行当時、乙川らの指示に反し犯行を思いとどまるという適法行為に出ることを期待することは全くできないか、著しく困難であって、期待可能性がなかったと主張する。加えて、被告人Qの弁護人は、仮に、客観的にはこのような状況になかったとしても、同被告人はその存在を確信していたのであり、その誤信には真にやむを得ない事情が存在したのであるから、責任非難は軽減されるべきであるとも主張する。

二  期待可能性の認定

そこで検討するに、本件各犯行時に両被告人を取り巻いていた客観状況をみても、それにより強制されて抵抗できないというような、何らかの現実的危険性を伴う状況になかったことは明らかである。加えて、両被告人の心理状態をみても、責任能力の項において繰り返し述べてきたように、犯行指示に驚愕し、抵抗感を示し、躊躇等した上で、結局は、自らの意思で、教義や乙川の指示に従い、犯行を敢行する途を選択し、これを実行したのであるから、乙川の指示に絶対服従するしかないとの心理状態に追い込まれ、あるいはそのような客観状況の存在を誤信していたとも認め難い。よって、弁護人らの主張は採用できない。

第一〇 死刑制度の合憲性

被告人Sの弁護人は、現行の死刑制度及び死刑を法定刑に加えた刑法一九九条等は、生命権を保障した憲法一三条、適正手続及び実体的適正の各理論を認めた憲法三一条並びに残虐な刑罰を禁止した憲法三六条に違反する上に、検察官の死刑求刑は、憲法の右各条文に違反する旨主張するが、まず、死刑及びその執行方法を含む現行の死刑制度及び死刑を法定刑に加えた刑法一九九条等が、所論の憲法各条に反するものでないことは、最高裁判所の判例(昭和二三年三月一二日大法廷判決刑集二巻三号一九一頁、昭和三六年七月一九日大法廷判決刑集一五巻七号一一〇六頁等)であって、当裁判所もこれと見解を一にするところであり、この結論は、死刑制度に関する最近の国際的動向に照らしても変わらない。次に、本件死刑求刑は憲法に違反するとの点は、検察官の量刑事情に関する評価を一方的に指弾するものにすぎず、後記量刑の理由において詳述する量刑事情に照らせば、到底憲法の右各規定に違反するとはいえないことは明らかである。

【法令の適用】

一  被告人Q

被告人Qの判示第一の一ないし四の各所為のうち、各殺人の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第一の五の所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第二の一の所為は包括して同法六〇条、武器等製造法三一条三項、一項、四条に、判示第五の所為は被害者毎に(被害者は不特定かつ複数)旧刑法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第六の一の所為は同法六〇条、爆発物取締罰則三条に、判示第六の二の所為のうち、爆発物を使用した点は旧刑法六〇条、爆発物取締罰則一条に、各殺人未遂の点(被害者は不特定かつ複数)はいずれも旧刑法六〇条、二〇三条、一九九条にそれぞれ該当するところ、判示第一の一は一個の行為が一一個の罪名に、判示第一の二は一個の行為が三個の罪名に、判示第一の三ないし五はいずれも一個の行為が四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により判示第一の一ないし五についてそれぞれ犯情の最も重い岩田某に対する殺人罪の刑、渡邉某に対する殺人罪の刑、中越某に対する殺人罪の刑、高橋某に対する殺人罪の刑及び古川某に対する殺人未遂罪の刑で処断し、判示第五は一個の行為が複数の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により犯情の最も重い被害者に対する殺人未遂罪の刑で処断し、判示第六の二は一個の行為が複数の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により犯情の最も重い爆発物取締罰則違反の罪の刑で処断し、右各罪の所定刑中、判示第一の一ないし五の各罪についていずれも死刑を、判示第五の罪について有期懲役刑を、判示第六の一の罪について懲役刑を、判示第六の二の罪について有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は旧刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の二の渡邉某に対する殺人罪の死刑で処断し他の刑を科さず、被告人Qを死刑に処し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

二  被告人S

被告人Sの判示第一の一ないし四の各所為のうち、各殺人の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第一の五の所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第二の一の所為は包括して同法六〇条、武器等製造法三一条三項、一項、四条に、判示第二の二の所為は旧刑法六〇条、武器等製造法三一条一項、四条にそれぞれ該当するところ、判示第一の一は一個の行為が一一個の罪名に、判示第一の二は一一個の行為が三個の罪名に、判示第一の三ないし五はいずれも一個の行為が四個の罪名に触れる場合であるから、旧刑法五四条一項前段、一〇条により判示第一の一ないし五についてそれぞれ犯情の最も重い岩田某に対する殺人罪の刑、渡邉某に対する殺人罪の刑、中越某に対する殺人罪の刑、高橋某に対する殺人罪の刑及び古川某に対する殺人未遂罪の刑で処断し、右各罪の所定刑中いずれも死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の三の中越某に対する殺人罪の死刑で処断し他の刑を科さず、被告人Sを死刑に処し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

三  被告人R

被告人Rの判示第一の一ないし四の各所為のうち、各殺人の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第一の五の所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第三の所為は同法六〇条、一九九条に、判示第四の一の所為は同法六〇条、一九九条に、判示第四の二の所為は同法六〇条、一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の一は一個の行為が一一個の罪名に、判示第一の二は一個の行為が三個の罪名に、判示第一の三ないし五はいずれも一個の行為が四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により判示第一の一ないし五についてそれぞれ犯情の最も重い岩田某に対する殺人罪の刑、渡邉某に対する殺人罪の刑、中越某に対する殺人罪の刑、高橋某に対する殺人罪の刑及び古川某に対する殺人未遂罪の刑で処断し、右各罪の所定刑中、判示第一の一ないし五の各罪についていずれも無期懲役刑を、判示第三及び判示第四の一の各罪についていずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条二項本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の一の岩田某に対する殺人罪の無期懲役刑で処断し他の刑を科さず、被告人Rを無期懲役に処し、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

【量刑の理由】

一 本件は、オウム教団の代表者乙川が、いわゆるハルマゲドンへの備えと教団等に対する宗教弾圧への対抗から、教団の武装化を企図するとともに、悪行を積んだ者などを高い世界に転生させるためには、殺害することさえポアと称して正当化するという内容の教義を唱え、その企図と教義のためと称して、被告人らを含む多数のオウム教団幹部と共謀して敢行した地下鉄サリン事件(殺人・同未遂)、自動小銃製造事件(武器等製造法違反)、落田事件(殺人)及び冨田事件(殺人・死体損壊)並びにオウム教団幹部間で共謀の上引き起こした新宿青酸ガス事件(殺人未遂)及び都庁爆弾事件(爆発物取締罰則違反・殺人未遂)の合計六件から成っている。そのうち、オウム教団科学技術省次官であった被告人Qは、地下鉄サリン事件、自動小銃製造事件、新宿青酸ガス事件及び都庁爆弾事件の四件に、同次官であった被告人Sは、地下鉄サリン事件及び自動小銃製造事件の二件に、自治省次官であった被告人Rは、地下鉄サリン事件、落田事件及び冨田事件の三件に関与している。

二 地下鉄サリン事件は、被告人Q、被告人S及び被告人Rが、乙川や多数のオウム教団幹部らと共謀の上、東京都内の地下鉄の不特定多数の乗客らを殺害しようと企て、通勤時間帯に、東京都内の地下鉄車内に化学兵器であるサリンを発散させ、一二名の乗客や営団地下鉄職員を殺害するとともに、多数の者に重軽傷を負わせたが殺害の目的を遂げなかったという事案である(判示第一の一ないし五の事実)。

乙川を中心としたオウム教団幹部は、公証役場事務長逮捕監禁致死事件がオウム教団の犯行であると発覚することを危惧し、オウム教団施設に対する強制捜査を阻止するため、首都中心部を大混乱に陥れようと企図し、本事件を敢行したものであり、大量殺人を企図した無差別テロ以外の何ものでもない。乙川らの動機・目的は、帰するところ、教団の利益のためならば手段を選ばず、他人の尊い生命に一顧だにしないという狂信的かつ独善的なもので、正に社会秩序に対する無謀な挑戦である。乙川を教祖とするオウム教団は、教条主義的な教義に基づき、教団が己の教義を理解しない一般社会や国家権力から弾圧を受けていると称して、武装化を推進していたのであるが、このような乙川やオウム教団の有する反社会的で破壊的な教義自体が地下鉄サリン事件を引き起こした原因となっていることも看過することはできない。

本事件は、大気中に一立方メートル当たり一〇〇ミリグラムの濃度で存在すれば、一分間で半数の人間が死亡するといわれるほど殺傷能力の高い化学兵器であるサリンを用いて、午前八時という通勤時間帯を狙って、閉鎖された地下空間で、かつ、混雑した地下鉄車内において、同時多発的に敢行された無差別テロであり、犯罪史上類のない人間の尊厳をおよそ無視した卑劣かつ残虐な犯行である。また、本事件は、乙川を首謀者として、多数のオウム教団幹部らが、その有する高度の専門知識や財力を利用してサリンを生成する一方で、犯行日時、場所、方法、逃走手段等につき謀議を遂げ、現場の下見、自動車の調達、犯行の予行演習をするなどの準備を重ね、総指揮者、サリン製造役、実行役、運転手役等それぞれの役割を果たした組織的かつ計画的犯行である。

犯行の結果は、死亡者が一二名、サリン中毒症の傷害を負った者が一四名、そのうち重篤な者が二名という深刻なものである。被害者は、いずれも、通勤客や地下鉄職員らであって、もとより何の落ち度もないばかりか、サリンで攻撃されるいわれも全くなく、単に犯行現場に居合わせたばかりに、理不尽な犯行に巻き込まれ、その犠牲になったものである。一二名の死亡者は、二一歳から九二歳までの様々な年齢層にわたり、これまで各自の人生を懸命に生き、それぞれの夢と希望を持った善良な市民であって、いずれも原因すら分からずに意識を失い、そのまま回復せずに絶命したのであり、その苦悶、恐怖、さらには無念さには、想像を絶するものがある。また、死亡者の中には、身重の妻の出産を待ちわびていた会社員、乗客の安全を図るなどの使命感から、危険を顧みることなく、サリン入りの袋を素手で片付けるなどした営団地下鉄職員も含まれ、痛ましいというほかない。後遺症によって治癒の見込みさえ立たない二名の重篤者は、意識障害、記憶障害、四肢機能障害等が残り、一名は未だ日常生活には介護が必要な状態であり、その闘病生活の苦しさ、はけ口のない無念さの程度は、死亡した被害者に勝るとも劣らない。また、一瞬にして家族の一員を奪われ、不幸のどん底に陥れられた遺族の悲嘆、絶望、怒りには計り知れないものがあり、しかも、遺族の中には、悲しみと絶望から、心身疲弊して病床に伏した者も少なくなく、その状況は悲惨というほかない。また、重篤者の家族の経済的、精神的、身体的負担や苦悩等も見過ごすことができない。そうすると、遺族、被害者及びその家族が地下鉄サリン事件の犯人に対して極刑を望んでいるのは至極当然のことである。

さらに、地下鉄車内や駅構内においては、痙攣を起こし、口から血の混じった泡を吹き、壁を爪で掻きむしるなど塗炭の苦しみを味わい、縮瞳、吐き気、頭痛等で苦悶する者が続出し、七〇〇人近くの人々が救急車で病院に搬送されるなど、都心の中心部が一瞬にしてパニック状態に陥り、さながら地獄絵と化す凄惨な状況になった。また、本事件は、一般市民を対象にした無差別大量殺人として人々を震撼させ、我が国の治安に対する信頼を根底から揺るがし、無差別テロに対する恐怖、不安、怒りを掻き立てたのであり、我が国のみならず世界各国に与えた衝撃は誠に甚大である。

ところで、被告人Qは、本事件の犯行目的を警察権力によるオウム教団弾圧への対抗と理解し、乙川の指示は、人類の救済に繋がると考えて、サリン撒布の実行役になったものである。被告人Sは、乙川らが意図した強制捜査の阻止という目的を了知し、タントラ・ヴァジラヤーナの教義による救済と信じ、同じく実行役となった。如何に救済という美名を標榜しても、その実質は、独善的な教義を盲信して大量殺人に関与することを決意したものであって、弁解の余地はない。被告人Q及び被告人Sは、渋谷アジト等での事前共謀に加わり、実行役として担当路線の地下鉄内にサリンを発散させ、その結果、被告人Qにおいては、一名の死者と二名のサリン中毒症者を、被告人Sにおいては、一名の死者と重篤者を含む三名のサリン中毒症者を出している。実行役の両被告人は、サリン中毒の予防薬を事前に服用した上、サリン入りの袋を突くや直ぐさま車内から逃走し、犯行後もサリンの付着した傘を危害が及ばないように処置し、自己の生命の安全を図っておきながら、一方で、複数回サリン入りの袋を突いて、地下鉄内に直にサリンを撒布している。さらに、両被告人は、犯行を終えた後、他の実行役とともに乙川の元に報告に赴き、「偉大なるグル、シヴァ大神、全ての真理勝者方にポアされてよかった。」旨のマントラを唱えるよう指示され、死者の冥福を祈るつもりで繰り返し唱えたというが、誠に独善的であって、「ポアされてよかった。」などという一節は、被害者を愚弄するものである。

被告人Rも、乙川の犯行目的を疑問視しつつも、結局はこれを容認し、今更オウム教団を抜けることもできないなどと考えて運転手役を果たしたもので、自己保身以外の何ものでもない。実行役とともに現場の下見をしたり、犯行に用いた自動車を受け取りに赴くなどの犯行の準備に深く関与した上、結果的には、五路線中最も多くの死者八名を出したTの運転手役の務めを全うしている。犯行後も、Tらとともに、犯行に使用した傘、実行役の衣類、犯行計画を記載したメモ類等を焼却して証拠隠滅を行った後、被告人Qらと同様、乙川の元で前記のマントラを唱えるよう指示されている。誠におぞましい限りである。

三 自動小銃製造事件は、被告人Q及び被告人Sが、乙川及びVらと共謀の上、自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようとしたが未遂に終わり(判示第二の一の事実)、また、被告人Sが、乙川及びVらと共謀の上、小銃一丁を製造した(同二の事実)という事案である。乙川は、オウム教団武装化の一環として、自動小銃約一〇〇〇丁を密かに量産しようと決意し、幹部数名をロシアに派遣してAK七四の調査と資料収集を行った上、入手したAK七四の実物を分解した部品の一部を密かに本邦に持ち込んで製造方法の検討を進め、多額の資金を投入して、コンピューター制御による大型旋盤(MC)、NC旋盤、深穴ボール盤ほか多数の工作機械を備えた製造工場を造り、多数の信者らを動員配置して製作等に当たらせ、多量の特殊鋼材等を調達して主に部品の製作を続けていたものである。その間には、発見押収されただけでも膨大な数に上る部品が製作されたばかりか、かなりの殺傷能力を持つ本件小銃を完成させている。このように、本事件は、動機においても、社会秩序を全く無視した許し難いものであるし、犯行態様も、過去に類例を見ない、大規模で組織的かつ計画的なものであって、悪質極まりない自動小銃密造事案である。発覚が遅れれば、遠くない将来に、より高度の殺傷能力を持つ自動小銃が大量に製造されていた可能性を否定できず、深刻な事態を惹起したであろうことは想像に難くなく、社会に与えた衝撃や不安には尋常でないものがある。

被告人Q及び被告人Sは、予め、ロシアに渡航し、AK七四の情報を入手したり、その部品と銃弾を本邦に密かに持ち込んだ上、平成六年二月下旬、ホテル「丙」において、乙川から、既に命令を受けていたVと協力して自動小銃製造に関与するよう指示され、爾来この三名が、作業の中心となってその製造に取り組み、被告人Qにおいては、誘導加熱炉、窒化炉及びメッキ槽の製造や銃弾製造等を、被告人Sにおいては、金属部品の製作をそれぞれ担当した。また、被告人Sは、平成六年六月下旬ころから、MCを利用した金属部品の大量製作に着手し、同年八月ころ、Vから銃身製作を引き継ぎ、大型の放電加工機によるライフル加工を成功させ、同年暮れ、自動小銃一丁を完成させている。被告人Qはハルマゲドンに対する備え、被告人Sはタントラ・ヴァジラヤーナの救済とそれぞれ犯行目的を理解し、創意工夫をしながら、部下である出家信者を指揮して担当作業に従事させたものであって、自動小銃製造において、両被告人の果たした役割は大きい。とりわけ、被告人Sのそれは、小銃製造の責任者に指名されたVに勝るとも劣らない。

四 落田事件は、被告人Rが、乙川及びオウム教団幹部らと共謀の上、元信者であった被害者落田の頸部をロープで絞めて殺害したという事案である(判示第三の事実)。オウム教団の薬剤師であった落田が、元信者iとともに、特殊な病気治療等のため衰弱し切っていたiの母親を救出しようとして、第六サティアンに忍び込んだことなどから、悪行を積んだ者はポアするしかないという乙川の独善的な論理に基づき行われた犯行であって、その動機は、反社会性を有している。本事件は、乙川から自己の解放を条件に殺害を命ぜられたiが、落田の頭部にビニール袋を被せ、その中に催涙ガスを噴射した上、手錠を掛けられたまま苦悶し、必死に抵抗する落田の体を共犯者らが押さえ付ける中、ロープで頸部を絞め付け殺害したという冷酷無比な集団リンチ殺人そのものである。落田は、悶絶しつつ生命を断たれたもので、二九歳と未だ若く、遺族の被害感情も強い。被告人Rは、ポアと称する殺人行為に賛意を表明し、落田の犯行現場への連行、人払い、部屋の施錠という準備行為を行った上で、他の者が殺害行為に及んでいる間、乙川の身辺警護をするとともに、「バタバタしています。」「動かなくなりました。」などと惨状の様子を乙川に伝えるなどの役割を果たし、犯行の遂行に寄与している。

五 冨田事件は、被告人Rが、乙川及びGらと共謀の上、オウム教団車輛省所属の被害者冨田の頸部をロープで絞め付けて殺害し(判示第四の一の事実)、その上、その遺体をマイクロ波で加熱焼却した(判示第四の二の事実)という事案である。犯行動機は、オウム教団の生活用水等を運搬するワークに従事していた冨田が、嘘発見器による検査において、水に毒を混入させたとの陽性反応を示したことを一つの契機にして、乙川に指示されたGにおいて、被告人Rとともに、冨田に対し拷問を加えて自白等を強要し、同人がこれに屈しなかったため、最早ポアするしかないという、これ又、乙川らの独善的かつ不条理な考え方に基づくものである。犯行態様をみても、尊師の警備担当になるため試験を実施する旨虚偽を告げられ、言われるまま、手錠等で両手足や胴体を椅子に固定することを許した冨田に対し、Gや被告人Rが、待ち針を足の爪の間に刺したり、熱した掻き出し棒を腕に押し当てるなどの拷問を加えた上、ロープを二人掛かりで力一杯引っ張って絞殺したという凄惨かつ残忍なものである。死体損壊の方法も、遺体を折り曲げてドラム缶の中に押し込み、何日にも亘ってマイクロ波を照射して加熱焼却した上、遺骨等を硝酸で溶かすなどして徹底的に犯跡を消すという、己の利益を死者の尊厳に優先させた非情なものである。抗拒不能なまま苦悶のうちに、二七歳の若さで生涯を閉じた冨田の胸中は無念の一言に尽きよう。また、一人息子を乙川やオウム教団に奪われた両親の悲嘆も甚大である。被告人Rは、Gとともに、冨田の凄惨な拷問行為に加わったばかりか、その頸部をロープで絞め付けて殺害行為を自ら担当し、死体損壊の実行行為にも関与している。

六 新宿青酸ガス事件は、被告人Qが、H、Uらと共謀の上、地下鉄新宿駅公衆便所内に青酸ガス発生装置を仕掛けて、トイレ利用者等を殺害しようと企てたが、駅員に消火されるなどしたため、殺害の目的を遂げなかったという事案である(判示第五の事実)。また、都庁爆弾事件は、被告人Qが、H、Uらと共謀の上、治安を妨げ、当時の青島都知事らを殺害する目的をもって、書籍に仕掛けた爆発物一個を製造した上(判示第六の一の事実)、都知事宛てにその爆発物を送付し、秘書事務担当の被害者内海が書籍の表紙を開けると同時に爆発物を爆発させてこれを使用したが、内海に重傷を負わせたにとどまり殺害の目的を遂げなかったという事案(判示第六の二の事実)である。

両事件は、地下鉄サリン事件後、教団施設が警察の捜索を受け、出家信者らが次々と逮捕され、オウム教団自体が崩壊の危機に瀕する中で、Uら教団幹部らが、定期的に大規模な事件を起こせとの乙川の指示に基づいて、捜査をかく乱し、教祖である乙川の逮捕を是が非でも免れさせようと企図し、時間的に実現可能な方策を模索した結果、敢行したものである。被告人Qらは、地下鉄サリン事件で多くの死者や重傷者が出たことを報道等で知ったにもかかわらず、その被害の甚大さを何ら省みることなく、専ら乙川やオウム教団の護持だけを図り、さらに社会秩序や他人の生命を無視する犯行を重ねたものであって、非人道的で無謀かつ悪辣というほかない。両事件は、地下鉄サリン事件の衝撃が冷めやらぬ間に、連続して惹起されたものであり、不特定多数を対象としたテロ事件性を有するが故に、社会不安を一層増大させ、国民に底知れぬ恐怖を与えた。

新宿青酸ガス事件は、空気中に極わずか存在しただけで人が即死するという猛毒の青酸ガスを発生させるべく、「こどもの日」という祝日の夕刻、利用者の多い新宿駅地下街の公衆便所に、時限式の青酸ガス発生装置を仕掛けた危険性の高い卑劣かつ凶悪な犯行である。被告人Qらは、種々の工夫を凝らして青酸ガス発生装置を製作した上、何度も下見をして仕掛ける場所を選定し、清掃の時間帯を確認するなど周到に準備し、二度の失敗にも断念することなく犯行を敢行したものであり、計画的であるばかりか、執拗さに照らすと強固な犯行意思が見て取れる。

都庁爆弾事件は、被告人Qらが、その有する専門的知識を駆使して軍用爆薬を用いた爆発物を製造した上、世界都市博覧会の中止決定で当時世間の注目を集めていた青島都知事らを標的として、爆弾を一般書籍の中に仕込み、差出人名を偽装して都知事宛てに送付したものであり、これ又、卑怯かつ凶悪な犯行である。被告人Qらは、爆薬の製造、爆弾の組立て、郵便ポストへの投函等、それぞれの役割を分担し、爆発自体を成功裡に導いたものである。内海は、勤務中にそれとは知らずに書籍を開披し、一瞬の内に左手の全指と右手親指を失うなどの重傷を負わされ、二度に亘る手術を受けたものの、左手には痺れが残り、日常生活に多大な支障を来すほどの後遺症を一生涯背負わざるを得ない事態となったものであり、その肉体的、精神的苦痛は大きい。

被告人Qは、捜査をかく乱し、乙川の逮捕を免れさせるという目的を十分理解して、両事件に加わったものであり、新宿青酸ガス事件では、主に、Hが青酸ガス発生装置を製作する際の各種の実験を補助したほか、青酸ガス発生装置を仕掛ける候補に挙がったマスコミの社屋を下見し、都庁爆弾事件では、謀議の際に、爆弾の送付方法について意見を述べ、また、爆薬の製造のほとんどを手掛けており、両事件の遂行に重要な役割を果たしたというべきである。

七 以上検討してきた諸事情をその関連する被告人毎にみてみても、被告人三名の刑事責任は、程度の差があるにせよ、いずれも誠に重大であって、相応の重刑に処せられるべきは至極当然である。しかるに、各弁護人は、被告人らの刑事責任が如何に重大であっても、なお被告人らには有利に斟酌すべき事情があることに照らし、被告人Q及び被告人Sについては、極刑は相当ではなく、被告人Rについては、無期懲役刑を減軽すべきである旨主張する。そこで、被告人三名にとって如何なる事情を有利に斟酌すべきか、また、有利に斟酌すべきとしても、どの程度斟酌すべきか、特に被告人Q及び被告人Sについては、極刑を回避すべきかの観点から慎重に検討することとする。

1 共通事情

まず、被告人三名に共通な事情から考察することとする。

(一) 乙川及びオウム教団の影響

被告人三名の各弁護人は、マインドコントロールという用語を用いるか否かは弁護人毎に異なるが、次に述べるような被告人らの心理状態や思考傾向は、責任能力や期待可能性の有無等に影響を与えないとしても、少なくとも被告人らに有利に斟酌すべき事情になる旨主張する。すなわち、被告人らは、乙川やオウム教団の最高幹部から、説法、極限修行、神秘体験、ワークと称する作業等を通じ、あるいは、睡眠時間や食事を制限した過酷な生活環境を強いられることにより、徐々に尊師である乙川の提唱するタントラ・ヴァジラヤーナの教義による人類救済や解脱を唯一無二なものと盲信するようになる。また、被告人らは、乙川の指示は全て救済に繋がり、それに背くと地獄に落ちるのは当然として、疑念を抱くことさえ、自己の修行が足りないものと信じ込まされ、次第に乙川の指示を絶対視するようになる。被告人らが本件のような凶悪な犯罪を事も無げに敢行したのは、このような理由からであるというのである。

なるほど、本件全証拠によると、被告人Q及び被告人Sが、弁護人主張のような心理状態や思考傾向に陥り、乙川らから本件各犯行を指示された際に、それに抗することが困難な状態であったことは、否めない事実である。これは、既に検討したように責任能力、期待可能性、緊急避難の存否自体に影響を与えないとしても、両被告人にとって、酌むことができるといわなければならない。被告人Rについては、乙川の教義や私生活に疑念を抱いていたことを自認しており、前記のような心理状態や思想傾向には完全になかったことが明らかであるから、それほど酌むべき事情にはなり得ないと考える。

しかしながら、翻って、被告人Qと被告人Sについて考えてみるに、まず、乙川が説く教義や修行の内容は、およそ荒唐無稽なものであり、教義の中にはポアと称して人の生命を奪うことまで是認する内容も含まれ、また、乙川が、幹部信者とともに、衆議院選に立候補し、全員落選するという愚行を目の当たりし、さらに、乙川から指示されたいわゆるワークは、約一〇〇〇丁の自動小銃の製造など著しい反社会性や違法性を有するものであって、通常人であれば、たやすく、乙川やオウム教団の欺瞞性、反社会性を看破することができたことも事実である。ところが、両被告人は、その有する生真面目さや純粋さも災いして、このような契機を見過ごし、自己の判断と意思の下に、オウム教団にとどまり続け、遂には地下鉄サリン事件を迎えたものであって、いわば、自ら招いた帰結というべきである。そうすると、乙川らの指示に対し抗することが困難な状態に陥っていたことは、両被告人にとって、過大視することができず、一定限度の斟酌に止まるべきである。

(二) 反省状況

被告人三名は、いずれも自ら犯した犯罪の重大性や悪質性、遺族の悲惨さ、被害者の苦しみなどを知り、真摯な反省・悔悟の念を深め、自己の捜査のみならず、オウム関連事件全体について、捜査及び裁判に全面的に協力してその念を表し、当然のことながら、全員オウム教団を脱退している。また、被告人ら、とりわけ、被告人Q及び被告人Sの裁判に臨む態度は、当然とはいえ、誠に真摯なものであった。被告人Qにおいては、自責の念や被害者に対する配慮から、言い逃れをしたり、感情を露わにしないとの姿勢を保ち続け、自己の死をもって、その責任を全うする覚悟を表明している。被告人Sにおいては、深い悔悟と乙川の教義からの訣別の念により、公判の最終段階で、精神状態の変調を来した。これらの両被告人の態度からすると、真摯な反省の念と被害者への謝罪の気持ちには、偽りがないというべきである。そうすると、被告人らの反省状況は、量刑上有利に斟酌するに値する。

(三) 前歴・人格等

被告人らは、それぞれ、両親に養育されて成長し、大学あるいは大学院まで進んで高等教育を受けた者であり、オウム教団による非合法活動に関与するまで、前科もなく、社会規範を遵守して生活してきた。その人柄や優秀さは、被告人Qについては、公判廷に証人として出廷した学生時代の複数の友人が、律儀で責任感があり、人望も厚く、一緒にいて気持ちがよい男である旨異口同音に述べ、被告人Sについては、同じく、証人として、大学院時代等の指導教授が、自己の論文作成に欠かすことのできない優秀な学生であったと述べ、実際、同教授と共同執筆した論文は海外で高い評価を受けた旨証言しており、友人も、その人間性について、誠実、穏健、生真面目などという言葉で表現していることに端的に表れている。オウム教団に入信した動機をみても、解脱を求めるなど、いずれも真摯な理由に基づくものであった。このように、被告人ら、とりわけ、被告人Q及び被告人Sは、オウム教団に入信する以前は、人格高潔で、学業優秀な人物であったことは事実であり、有利に斟酌することができる。

しかしながら、被告人らが如何に人格等において優れていたとしても、それは、地下鉄サリン事件等の被害者にもいえることであって、被告人らが自らの意思でオウム教団に入信し、自らの意思で犯行に及んでいるのに比し、被害者らは、自らの意思や責任から被害に遭遇したものではなく、何らの謂われもなく、無念のうちにその生命を断たれた者がいることに照らすと、被告人らの人格や優秀さを斟酌するとしても、過大視することはできないといわなければならない。

2 個別事情

以上の共通事情のほか、被告人らには、以下に述べるように、有利に斟酌すべき個別事情がある。

(一) 被告人Q

(1)  自動小銃製造事件のうち、被告人Qが関与する大量製造を企図した事実(判示第二の一)は、未遂に終わっている。また、新宿青酸ガス事件については、シアン化水素ガスが発生せず、犯行が未遂に終わり、一人の負傷者も出ていない。さらに、都庁爆弾事件のうち、殺人の部分についても、未遂に終わっている。

(2)  自動小銃製造、新宿青酸ガス及び都庁爆弾各事件においては、刑法四二条一項にいう「自首」と評価できないが、捜査がそれほど本格化していない段階で、捜査官に対し、自分が犯行に関与していることを認める供述をし、事件の解明に協力した。

(3)  両親が、面会を許された地下鉄サリン事件の遺族三名に謝罪し、都庁爆弾事件の被害者内海宛に謝罪の書簡を出し、その妻に謝罪している。さらに、両親は、被告人Qの妹ととともに、平成一一年六月二日オウム真理教犯罪被害者支援基金に対し、八〇〇万円を寄附した。

(二) 被告人S

(1)  自動小銃製造事件のうち、大量製造を企図した事実(判示第二の一)については、未遂に終わっている。

(2)  被告人Sは、担当路線において死亡した中越某の遺族に対し、三〇〇万円の弔慰金とともに謝罪の意思を表した書簡を送付している。また、浅川某の家族に対し、二〇〇万円の見舞金を支払い、書簡で謝罪している。

(三) 被告人R

(1)  地下鉄サリン事件においては、Tの運転手役を務めているが、その役割や地位に照らすと、被告人Rの犯情は、首謀者乙川、総指揮者のD、枢要な役割を担当したU及び実行役五名のそれに比較すると、一線を画するといわざるを得ない。また、落田事件では、被告人R自身、殺害の実行行為を行っていない。

(2)  落田事件及び冨田事件について、被告人Rは、平成七年五月二九日、捜査機関に対し、刑法四二条一項にいう自首をし、両事件の解明に貢献している。

(3)  被告人Rは、両親を通じて平成一一年六月一一日オウム教団破産管財人が管理するサリン事件共助基金に対し、地下鉄サリン事件、落田事件を含むオウム教団が関与した犯罪の被害者への償いとして、一〇〇万円を寄附している。また、冨田事件においては、被害者の両親に謝罪の手紙を書くとともに、平成一〇年一〇月二六日三〇〇万円を支払い、その後も毎年五〇万円ずつ支払うことを表明している。

八 以上縷々述べてきたことを総合すると、本件各犯行の罪質、動機・目的・態様の悪質性、結果の重大性、遺族の処罰感情、社会に与えた影響、本件各犯行における被告人らの役割の重要性、犯行後の諸事情等に鑑みると、被告人らの刑事責任はいずれも誠に重く、とりわけ被告人Q及び被告人Sのそれはあまりにも重大であって、被告人らについて、個別事情として述べた有利な事情や反省状況を最大限考慮した上、乙川らの指示に抗することが困難な状態に陥っていたことやその人格等を一定限度で斟酌し、O受刑者に対する量刑との均衡等弁護人らが指摘するその他の事情を視野に入れ、かつ、極刑が真にやむを得ない場合にのみ科し得る究極の刑罰であることに照らしても、被告人Q及び被告人Sに対しては死刑を、被告人Rに対しては無期懲役刑をもって、それぞれ臨まざるを得ないと考える。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・山崎学 裁判官・髙木順子は転補のため、裁判官・伊藤多嘉彦は研修のため、それぞれ署名押印できない。裁判長裁判官・山崎学)

別表一〜五<省略>

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